前回のあらすじ
<クリシュナムルティの『子供たちとの対話』にどハマりした21歳ひきこもり青年。次は大人に向けた内容のクリシュナムルティ本『生と覚醒のコメンタリー』を読み始めたのだが……>
J・クリシュナムルティ『生と覚醒のコメンタリー』の第1巻を、まず読み終えました。その時の率直な感想。
「さっぱりわからん」
書いてある文章は読めても、その意味が全く理解できません。この本は、クリシュナムルティが実際に会った人たちとの対話を中心に、クリシュナムルティの考えを綴っています。いわば「大人たちとの対話」です。
対話の相手は実に様々で、普通の市民から政治家、音楽家、芸術家、宗教家、活動家、女優、学生、精神科医、ヒッピー、その他諸々の属性を持つ人々との対話が収められています。
彼らとの対話を通じて、クリシュナムルティの「教え」が開示されていくのですが、これが全くわからない。この本に出てくる、クリシュナムルティの元を訪れて対話する人たちの中にも「何をおっしゃっているのかわかりません」という人が出てきますが、私も同じ状態でした。
何か、大切なこと、深遠なことを言ってる感じはするのだけど、意味がわからない。それでも、何かが心に響いてくるのです。対話の前に挿入される、自然の描写、市井の人々の生活、そうした表現と一緒に、何かとても大切なことが語られている。それを理解できないもどかしさ。
何が語られているかわからないまま、読み進めていくと、自分がそれまで信じていたものがことごとく破壊され、はぎ取られていきました。当たり前と信じて疑わなかった常識の不確定さ。自分を抑えつけていた常識に、外ならぬ自分自身が頼っていたという衝撃。自分を苦しめていたものに、自分が依存していたという事実。
読み込むほどに、自分がそれまで立っていた基盤が揺るがされ、宙ぶらりんになる感覚。クリシュナムルティの言葉は、人によっては強い拒絶反応を示すと言いますが、自分が安全だと思って住んでいた家を、危険だから出ていきなさいと言われたら、拒絶したくなるのも無理からぬことです。
読めば読むほど、心はどんどん不安になっていきました。それは、今まで目を逸らしていた恐怖を目の当たりにする過程であると同時に、解放の過程でした。縛られていたものから解放され、自由を得るということは、安心を手放すということでもあります。
私は何か大切なことを、クリシュナムルティによってふたたび更新された「真理」という言葉の意味を知りたかった。しかし、それまでわかっていると思っていたことがわからなくなっただけで、新たにわかったことはひとつもありませんでした。
わからないけれど、何かがある。わからないなりに、読み続けました。1巻から4巻まで読みました。それでもわからない。もう一度、1巻から4巻まで、通して読みました。2周目を読み終えた時、私の中にひとつの言葉が残りました。
「自己認識」
およそ1500ページにわたる文章を2回周り読んで、ようやくひとつのキーワードに辿り着いたのです。大切なのは、己を知ることだと。自分の心を見つめ、その声に耳を傾けることが、閉塞した人生を、つまり自分を変えうる唯一の打開策だと。
中学生の時に「真理」を求めて始まった私の探求はそこで終わり、そして全く異なる次元での、新たな探求が始まりました。
時間の終焉―J.クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集
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