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生きる意味を問うことに意味はあるのかと問うてみる

生きる (日本傑作絵本シリーズ)

 ちょっと前に、こんな増田がホッテントリに上がっていました。

はてなーは自分の生きる意味を考えたことある?

「生きる意味を考えたことがあるか」を周りの人間に、しかも傾向が把握できるほど大勢に聞いたってこと?そういうの、人に聞こうなんて考えたこともないな。

2019/05/08 22:15

 生きる意味を考えたことがある人ほど、人の生き方を否定する嫌な奴が多いようだ、という話。あくまで増田個人の意見として。

 私の観測範囲では、はてなーのみなさんはだいたい良い人ですよ。中にはとんでもないのが混じってるかもしれないけど、だいたいは常識人だと思います。いやほんとに。うん……まぁ、実際は知りませんけど。

 生きる意味を考えるというのは、多くの人が通る道ではないでしょうか。生命を維持すること自体に、さほど体力的・精神的コストがかからない現代人ならば、なおさらでしょう。

 生きる意味、存在理由、人生の目的……言い方はどうであれ、多くの人によって、似たような疑問は繰り返されるようです。

 私もご多分に漏れず、若い頃はよく考えました。自分は何のためにこの世に生まれたのか。人はなぜ生きるのか。人生の価値はどこにあるのか。

 繰り返し自分に問いかけてきたこの質問。いまの段階で私に言えることは、おそらく、この質問に対する答えはないだろうということです。

 それは、人が生きるということと、意味を問うという思考の働きは、別の次元にあるからです。記憶の集合体が、思考という処理を持った人間の精神。考えるという行為は記憶を操作する処理だからして、その基盤は過去にあるわけです。

 それに対し、生きるということは記憶に依らず、思考が望むと望まざるとに関わらず、今現在この瞬間に起きている現象なので、思考に扱える次元にはない。

 意味、価値、目的といった「概念」は、「生きている状態」とは無関係な思考の領域にあるもので、どう転んでも交差しないのです。生きている状態は、概念として扱えないのです。

 「生きる」という「概念」は、現に生きている「状態」とは無関係です。思考が「生きる」ことについて考えているあいだ、その考えとは関係なく、生きている「状態」は別個に活動しているからです。

 で、このように説明することも思考の領域にあるので、生きている「状態」について述べることもまた、実際の「生きている」こととは無関係です。

 言葉や概念は、生きている状態を扱えない。説明された状態は、その説明とは別物で無関係。それがわかれば、生きる意味を問うことの無意味さも理解できると思うのですが、これがなかなか難しい。人間は、自分の「認識」を「事実」と混同してしまうからです。ああややこしや。

 ところで全然話は変わりますが、今日はスプラトゥーン2のフェス開催日。明日は仕事なので、今晩しかやる時間がありません。これ以上話が長くなるとプレイ時間を確保できないので、今日はここまでにしときます。

 またいつか、生きる意味を考えることの無意味さについて考えるかもしれません。

生きる

生きる