心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

人生というものを根本的に勘違いしてるんじゃないかという感覚

情熱の薔薇 (デジタル・リマスター・バージョン)

見てきたものや聞いたこと いままで覚えた全部

デタラメだったら面白い そんな気持ち分るでしょう

gokumatrix.hateblo.jp

 これを書いた後、心の奥でずーっとくすぶっているものがある。

 自分は、人生というものを、何かものすごく根本的なとことで、勘違いしているんじゃないか、という考え。いや、考えというより、感覚。そういう感じ。

 何か間違えている気がする。でもそれが何かはわからない。何をどう間違えているのかはわからない。

 とにかく、自分がこれまで生きてきた中で、当然のこととして受け入れてきた世界観、価値観、そういったものが、もしかしたら全てまるっと勘違いなのかもしれない、という感覚。

 でもこれはあくまで感覚なので、勘違いという表現は違うのかもしれない。勘違いしている、という考え自体も勘違いなのかもしれない。堂々めぐり。

 言葉で表現できるほど単純な感覚ではない。

 あるいは逆に、単純すぎて言葉では表現できない、ということかもしれない。

 その感覚に意識を集中すると、もうちょっと、あとちょっとで何かがひらめきそうな、何かがわかりそうな感じがする。もしそれがわかったら、世界がどっと自分の中に押し寄せてきそうな予感。

 勘違いという障壁がなくなることで、世界をまるごと、ありのままに、歪みなく知覚することになるかもしれない、という予感。

 もしそうなったら、自分の意識も肉体も、その知覚に耐えられないかもしれない、という予感。期待と恐怖の予感。

 全部予感。本当はどうなるかわからない。その予感すら勘違いかもしれない。

 ただ、その予感がどういう意味を持っているのかはわからないが、予感そのものは実際に感覚としてある。

 こんな時、自分の語彙力の弱さに打ちひしがれる。心の中にある、何らかの圧倒的な感覚に対して、いかに貧弱な表現しか持ち合わせていないことか。

 この勘違いが解消されたら、自分の人生は、自分もろとも完全にひっくり返ることになる。そんな感覚がある。この認識はおそらく間違っていない。正解ではないかもしれないが、少なくとも勘違いではないはずだ。

 もしかしたら、全部春のせいかもしれないな。

 毎年、春になると頭がおかしくなるから。

 てなわけで、本日はこれにてお粗末なのだ。

超天才マジシャン・山田奈緒子の全部まるっとお見通しだ!

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