心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

さよなら黄色い風船

 休日、息子を行きつけの公園に連れて行った時のこと。

 その日はなぜか公園に行く前に、某ショッピングセンターに行きたいと言うので、とりあえずそこへ向かった。息子の片言の主張によれば、そのSC内にあるダイソーでポテチを買って、公園で食べたい、ということのようだ。

 その要求通り、ダイソーでポテチを買った。しかし、様々な店が並ぶSCを、そのまますんなりと出られるほど、うちの息子はおりこうさんではない。やれソフトクリームが食べたいだの、おもちゃ屋さんで遊びたいだのと言い出し、なかなか出られない。

 この時点で、すでに彼の中では、公園で遊ぶという目的は、一時的であるにせよ、完全に忘れ去られている。あげく、旅行代理店の前に置かれたテレビで延々と流されている、ディズニーランドとミッキーマウスの映像に釘づけである。公園に行くんじゃないの?と聞いても、完全無視。そもそもテレビに夢中でこっちの声が耳に入っていない様子。

 そんな時、館内放送がかかった。二階の○○書店前で、小学生以下のお子様に無料で風船を配るというのだ。これで息子をテレビの前から引き離せると思った私は、館内放送の内容を要約して息子に説明した。風船がもらえるという話に興味を示した息子を連れて、エスカレーターで二階へ上がる。

 書店の前には、早くも十組以上の親子連れが長蛇の列を成していた。風船を配っているおじさんの横には、見たこともないキャラクターの着ぐるみがふわふわと体を揺らし、子供と並んで写真を撮られたりしている。やがて順番が来て、何色の風船がいいかと聞かれた息子は、迷わず黄色い風船を選んだ。

 ヘリウムガスを充てんされた黄色い風船には、細いリボンが結び付けられていて、息子はそのリボンの一番端っこを、親指と人差し指で、お上品につまんで持ち歩く。そんな持ち方じゃ、すぐに手を離れて飛んで行っちゃうよ、と忠告するのだが、彼の耳には届かない。案の定、私の忠告の数秒後には、リボンは彼の手を離れ、風船が天井まで上がってしまった。幸い、ジャンプすれば届く高さだったので、その場はすぐに風船を回収できた。

 ほら、な?と息子を説得して、リボンを手首に結び付けたのだが、彼はそれが気に入らないらしい。すぐにリボンをほどいて、また指先でつまむ。その状態で車に乗り、本来の目的である公園に向かった。

 その日は風が強かったので、当然、風船を持ち歩くには適さないどころか、相当なリスクを伴う状況だった。にもかかわらず、息子は例のつまむような持ち方で風船を持っていこうとする。風が強いから、車に置いてったほうがいいよ、飛んで行っちゃうよ、と忠告するのだが、やはり彼の耳には届かない。飛んで行っても知らないからね、また風船くれとか、なんとかしろとか、お父さんに文句言われてもどうしようもないからね、としつこく念を押す。

 私の言葉が理解できているのかいないのか、たぶん理解できていないが、適当に相槌を打って歩き出す息子。そこそこ広い公園で、駐車場から遊具がある場所までは少し距離がある。こっちはいつ風船が飛び去っていくかとひやひやしながら歩いているが、息子はそんな心配など意に介するでもなく、ご機嫌でスキップしている。そのスキップがまたこっちの心配を増幅する。

 しばらく歩いて、遊具のある広場に着くころには、いい加減心配するのにも飽きてくる。遊具とその周りは、子供とそのお父さんやお母さんで混雑している。さながら敵味方入り乱れる戦場の如し。

 さて、どれで遊ぼうか、と振り向いた瞬間、視界を横切る黄色い風船。目線は一瞬だけその風船を追い、すぐに息子に移る。呆然自失。彼は、何が起きたのかわかっていない表情で、風船を見送っていた。強い風に乗って、風船はあっという間に遠ざかり、植木の高さを越え、空へ舞い上がっていく。

 やっと事態を飲み込んだ息子は、風船を取ってくれと言いながらしがみついてくる。パニック状態の彼を抱き上げ、一緒に風船を見送る。風船を指差し、手をのばして、もう手の届かないところへ飛んで行ってしまった風船を取り戻そうとするかのようなしぐさ。その涙は滂沱として彼の頬を流れ、悲しみの叫びがその口から迸った。

 短い間だったけど、遊んでくれてありがとうね、バイバイしようね、と言うと、空に浮かぶ小さな黄色い点と化した風船に向かって手を振る息子。その間も涙は止まらず、声をあげて泣き続ける。これは息子にとって生まれて初めて体験する別れの悲しみ、愛別離苦なのだろうな。そんな感慨を抱きつつ、私も彼と一緒に胸を痛めた出来事だった。