ホッテントリにこんな話が上がっていました。
男性が生きずらいのを女性のせいにするのをいいかげんやめてほしい - 雑記帳
「男性」「女性」という概念を対立させる妄想戦の無意味さを知りなさい。
2019/06/13 07:57
はてなではよく話題になる、男性x女性という対立軸。
こういう話を見るといつも「これはそもそも誰の話をしているんだろう?」と思います。
人間社会には、ざっくり言えば男性と女性しかいません。しかし「男性」「女性」という個人は存在しません。「男性の〇〇さん」や、「女性のxxさん」はいますが、彼・彼女は男性でもなく、女性でもない。おかしな言い方ですが、そうなりますでしょう?男性・女性はあくまで属性であって、具体的な人を表す言葉ではありませんから。
しかし、こういう話題では、あたかも「男性」や「女性」といった人が実在するかのように語られます。根拠にしているのは、アンケートなどで調査・集計されたデータ表現にすぎません。そしてこれは「普通の人」が存在しないのと同じように、どこにも存在しない人を表しているのです。
男性x女性の話をする人は、どこにも存在しない人の代弁者として、いかにもわかっている風に語りますが、実は誰の話もしていない。データの話をしているだけです。
そうして、実在する「男性の〇〇さん」や「女性のxxさん」は置き去りにされたままです。彼・彼女には、データに現れない個人的背景があり、事情があります。本当の問題はその個人的背景や事情にあるのですが、集計されたデータからは、そういったものはきれいさっぱり抜け落ちています。
そんなものを根拠に、やれ男性はああだ、女性はこうだと議論したところで、何の意味があるのだろうかと、いつも思います。その議論で何が変わり、誰が救われるのでしょうか。
あるいは、ただ議論を弄ぶだけが目的で、誰かを救うとか、問題を解決するとかいう意図など微塵もないのかもしれません。たぶん、そうなんでしょう。
ところが、こうしたデータが、少しでも自分の身の上に当てはまると、そうだこれは俺のことだ、これは私のことよ、と考えてしまい、徒に対立構造にハマりこんでしまう人も、少なからずいるのです。そして議論や対立に夢中になってしまい、自分が抱えている本当の問題、データに乗らない自分自身の個人的背景を見失ってしまう。
そういう意味で、男性x女性という単純化されすぎた問題提起は、本当に悩みを抱えている個々人の問題を解決する助けにはなりません。助けどころか、ただ問題をややこしくして、解決を妨害するものでしかない、と言っても過言ではないでしょう。
男女の問題だけではなく、こうした形で人間の問題をデータ化することで、実在する人間の現実問題を形骸化・単純化し、それを弄んであたかも問題解決に取り組んでいるかのように見せかけるやり方は、政治の世界でよく見られます。
問題を抱えている人は、往々にしてそんなデータの欺瞞にひっかかりやすいのです。問題解決のカギは、実在する個人である自分自身であって、誰にでも当てはまるような、単純化されたデータではない、ということを忘れずにいたいものです。
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