これは君の人生だ。
しかし、君はこの人生の所有者でも、支配者でもない。
君は、君という人間がどのような人生を歩むか、
日々の出来事をどう感じ、どのような感情を抱くか、
何を考え、どのように行動するか、
それを観察するためだけに存在している。
人生における君の役割はただひとつ、観察することだけだ。
君がどのような人間であるかを。
ある意味で、君という人間はすでに完成されている。
同じように、君の人生もまた完成されている。
ゆえに、何一つ進歩せず、後退もしない。
君が体験する成長や減退はあくまで見かけ上のものであり、
完成されたプロセスの通過点に過ぎない。
ただ、君という視点からは完成されたものが見えないだけだ。
この世界のあらゆるものは変化し続けるが
それは同時に何ものも変化しないということを意味している。
変化するものと変化しないものがあるのではなく、
視点の問題なのだ。
一切が変化することと、
一切が変化しないことは、
同じコインの裏と表のようなものだ。
物事は、見方ひとつで全く別物のように映る。
そして君は、一度にひとつの見方しかできない。
それが、君という構造の宿命なのだ。
完成されたものが見えないというのは、そういうことだ。
それと同じように、
君が完全な存在であるということと、
不完全な存在であるということは、
君というひとつの存在の裏と表である。
完全だから存在する。
不完全だから見ることができる。
何を言ってるかわからねーと思うが
俺も何を言ってるのかわからねぇぜ。