はてなブックマークのアプリを見ていると、時々「自己肯定感が低くて困っている」「自己肯定感を持つにはどうしたら」という内容の増田がホットエントリーに入ってきます。
今の世の中、自己肯定感が低いという人は少なくないでしょう。かくいう私も、かつては自己肯定感の低い人間でしたし、今でも時々低くなります。
しかし、かつての私と違うのは、自己肯定感が低いと感じても、それが自分という意識の根底を揺るがすことはない、という点です。
「自己肯定感が低い」というのは、砕いていえば「自分に自信がない感じ」です。もっと具体的には、自分には良いところがないとか、自分には何もできないとか、自分を否定する方向の考えが浮かんでくる心理状態です。
自信がない人が、自信を持つにはどうしたらいいのでしょうか。
その前に、そもそも自信を持つとはどういうことでしょうか。もっと根本的なことを言えば「自信」とは何でしょうか。
よく「根拠のない自信」と言われますが、もともと自信には根拠など必要ないのではないでしょうか。自信をその字義通りに解釈すれば「自分を信じること」であって、自分のステータスを頼りにすることではありません。自分の能力、経済力、技術、外見、所有物などが自信の根拠にあるとしたら、それは本当の自信とは違うでしょう。何も付属していない、素のままの自分を信じられることが、本当の意味の「自信」でしょう。
ですから、自信をつけるために何かを所有したり、身につけたりするというのは本末転倒です。そこで信じているのは自分ではなく、自分の所有物や能力だからです。所有物や能力を失えば、自信もまた失われることになります。
それでは、自信がないとはどういうことでしょうか。
自信がない状態とは、上に書いたような偽物の自信、つまり「根拠のある自信」における「根拠」がない状態を指すのではないでしょうか。
すなわち、何らかの能力や経済力、綺麗な顔、自慢の家や車、あるいは恋人を持っていない状態です。とすれば、自信がないことには根拠があります。何かを持っていないという根拠です。
自信のない状態は、偽物の自信がある状態と対を成していることになります。根拠があるかないかが、自信があるかないかを決める。持てる者と持たざる者の比較、他人との優劣が、自信を左右するということです。
自信や自己肯定感を持ちたいという考えは、それが手に入れば自分を変えられるという期待から生まれてきます。しかし、何かを手に入れて生まれる自信は、偽物の自信です。他者との比較で生まれる自信は、ただの傲慢です。
本物の自信、本物の自己肯定感は、どこかから手に入れたり、何かを実践することで身につけたりするものではありません。そもそも根拠のないものなのですから、それを手に入れるために必要な条件は何もないのです。
しかし、それでは身も蓋もありませんので、遠回しな喩えになりますが、私にできる限りの話を書きます。ただ、心の根源に関わることは、本来は言葉で表現できません。怒りや悲しみ、喜びを、そのままの形で他人に伝達できないのと同じです。こればかりは、各自でいい感じに解釈し、理解してもらうしかありません。
まず、自信は、すでに書いたようにどこかから手に入れたり、呼び寄せたりするものではありません。あなたの中に埋もれていると思ってください。そして、あなたはあなたという「がれきの山」を解体・撤去することで、本当の自信を自分で発見する必要があります。
その自信や自己肯定感は、あなたが想像していたものとはまるで別の何かだということがわかるでしょう。あなたがそれまで考えていた自信とか自己肯定感といった言葉は、全く空疎な概念だったと知るでしょう。さらに、その自信や自己肯定感以上のものが存在することを知るでしょう。自信や自己肯定感は、その存在のほんの一部で、単なる副産物に過ぎないということです。
あなたは、自己肯定感を埋もれさせているがれきの山であり、同時に解体作業者でもあります。がれきの山は、何がどのように積み重なってできているのか、慎重に見極めながら作業してください。下手をすれば崩壊して、あなた自身を圧し潰すかもしれません。自分の足元を掘り下げる作業には、危険が伴うことを覚悟してください。
人生において本当に大切なものは、あなたの心の奥底に眠っているのです。
……なんてね。自己啓発本でも一冊書こうかな。