心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

【テレビ鑑賞記】『仮面ライダージオウ』最終回「2019:アポカリプス」

 終わりましたね。平成ライダーを束ねる(はずだった)壮大な物語が。

 平成ライダーの世界がひとつにまとまり、全シリーズの敵がひとつの世界を破滅させる危機を、順一郎おじさんの時計職人の腕が救いました。平成ライダーそれぞれの世界が20個の地球として表現され、平成ライダーたちはそれぞれの世界で活躍すればいいんじゃないの?という「ぶん投げ方式」のようにも見えました。

 所詮、子ども向け番組。物語や設定の整合性など、二の次です。面白ければそれでいい。その場その場で盛り上がれば、それで上出来。あの事件の原因は?あの出来事のいきさつは?などという細かいことは、お子様たちにはわかりませんし、わかる必要もありません。

 とにかく、仮面ライダーが出てきて、敵をやっつけて、派手に爆発したり、カッコイイ必殺技を、ド派手なアクションとエフェクトで演出できれば、子どもにウケるんです。それでおもちゃが売れれば万々歳なんです。

 やれ伏線がどうの、設定がこうのといった「大きいお友達」の話は、仮面ライダーには関係ありません。これはディスっているわけではなくて、子どもの世界はそれでいいと思うんです。無理して小難しい理屈を織り交ぜる必要はないんです。単純明快に話が回ればそれでいい。

 昨今の仮面ライダーの、一見して複雑に見える背景や設定は、実は大きいお友達の目を欺くための、隠れ蓑に過ぎないのではないかと思いました。今風の設定や、少々複雑な人間関係を織り交ぜることで、大きいお友達の鑑賞に堪えうる作品作りをしていますよ、というアピールを見せつつ、その実本当に相手にしているのは、実際におもちゃを手に取って遊んでくれる子どもたち。

 個人的には、物語をもっとシンプルにしてもいいと思います。わざわざSFチックなギミックを盛り込まなくても、登場人物の相関関係を複雑にしなくても、面白い話は作れるはずです。シンプルな感情、シンプルな思考を、登場人物に持たせればいい。しかし、仮面ライダーはあまりに歴史を積み重ねてしまったために、今さらシンプルな設定に逆戻りすることはできないのでしょう。

 まぁそんな個人的な意見は置いといて、物語の結末は、わりと予想しやすい展開でしたね。ソウゴがオーマジオウになり、「この世界を破壊し、創造する」と言った時点で、みんなが幸せに暮らす世界を作るつもりかな?と思ったら、その通りの結末になりました。この終わり方は『魔法少女まどかマギカ』に通じるものがありますね。

 しかし、大きいお友達である私は、余計なことを考えてしまいます。ソウゴが創り出した幸せな世界で暮らすあの仲間たちは、果たしてソウゴが救いたかった仲間たちと同じなのかと。特に「明光院くん」は、ソウゴに敵意を向けながらも共に戦い、衝突と共闘の中で、硬い絆と友情を育んできた、あのゲイツと同一人物と言えるのだろうかと。

 それまでの歴史を「なかったこと」にするのは、その歴史の中を生き抜いた人間の人生すらも「なかった」ことにしてしまう。ソウゴの腕の中で死んでいったゲイツは、彼が生きてきた歴史と共に、ゲイツの人生ごと「なかった」ことにされてしまったのではないか。そんなモヤモヤが残るラストでした。あくまで個人的な感想として。

 まぁそれも、ひとつの物語が終わった今となっては、どうでもいいことです。重苦しい余韻を残すより、みんな笑顔で終われたほうがいいに決まっています。子ども向け番組なんですから。

仮面ライダージオウ「逢魔降臨歴」型CDボックスセット(CD5枚組)

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