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政治に愛を求めるのは間違っているだろうか

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか (GA文庫)

 最初に断っておきますが、タイトルと記事の内容はほぼ関係ありません。

 政治にはまるで無関心だけど、選挙には行きます。

 嫁さんと結婚した当初、さも当たり前のように彼女が選挙に行くというので、ことさらに反対する理由も見つからず、単なる付き合いで選挙に行きました。それまでは、成人して選挙権を得てから十数年の間に、1回か2回投票に行ったくらいです。それも人に頼まれて仕方なく。

 それが結婚以来、自分の中でうすぼんやりと投票の基準を決めて、毎回期日前投票に行くようになりました。

 そもそもが無関心なので、行かなければ!という義務感も、絶対に行くもんかという反対の気持ちもなく、言ってしまえば、もらった無料券を使わないのはもったいない、という程度の、貧乏人の性(さが)で行くようなもんです。

 投票の基準も、たぶん当選しないだろうなという、微妙なラインの人を選んでいます。その人がどんな公約を掲げているか、どんな主義主張、どんな思想の持主か、ということは調べません。とにかく、現政権に資するような投票は避ける、というのが鉄則です。

 当選しそうな人に票を入れるのもよろしくない。誰かを当選させるということは、その人に権力をゆだねるということであり、権力を得た人は、間違いなく不幸になると思うからです。人を不幸にしてまで、自分の票を生かそうなどとは考えません。なので、万が一、自分が投票した人が当選すると、ちょっと残念な気持ちになります。幸い、今までに当選した人はいません。先日の選挙でも、投票した人は無事落選しました。

 少数の人間に権力が集中することは、間違いなく腐敗を起こします。これは誰が権力を持とうが、どんな主義、思想を持った人間が権力の座に着こうが、避けられないことだと思っています。金と権力が集まれば、そこには腐敗しか生まれない、というのは明白な事実です。組織の大小を問わず、それはもうどうしようもありません。人間とはそういう生き物なのだから、仕方のないことです。まして一国を束ねる規模の権力ともなれば、その周辺は魑魅魍魎の跋扈する地獄が広がっているに違いありません。

 政治システムを使って世の中を動かせるのは金持ちだけ、という形が出来上がってしまっているので、今さらこれを変えるのは難しいというか不可能でしょう。それこそ、何かの革命でも起きない限りは。

 しかし、政治の世界で起きる革命なんてロクなもんじゃない。世の中が混乱するだけで、庶民にとってはいい迷惑です。

 ぶっちゃけた話、貧乏人の私には自分の生活をどうするかで精いっぱいで、政治についてあれこれ考える余裕はありません。政治の話は、お金と時間に余裕のある人に任せておきましょう。