心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

意識と観察者と観察対象と時空の問題

 風呂に浸かりながら漫然と思考を巡らせていたらふと思い出したこのブクマ。

生成AIは「意識」を持てる?「意識の秘密」に挑戦する科学者がヒトの脳と“機械の脳”を合体させたい理由 | レバテックラボ(レバテックLAB)

機械だろうが人間だろうが、こいつには意識があると認識するのは自分の意識だよね?どうやって自他の線引きをするんだろう?それが他者の意識だと認識してるのは自分の意識であって他者の意識じゃないよね?

2025/02/07 21:56

 リラックスした状態でぼんやり思考を遊ばせていると、うっかりなんらかの核心を垣間見てしまって至高体験に足を踏み入れそうになるという現象が起きることがある。もちろんその先にあるのが至高体験なのか何なのかは実際に足を踏み入れたことがないのでわからない。

 とはいえ何らかの閃きがあるのは確かで、その閃きを言語化しようと思考が試行錯誤し始める。思考が試行錯誤。大事なことなので以下略。

 さて上のブクマ記事のように意識とは何かという問題についていつも思うことがあって、それは科学的な研究の対象として意識を扱うのは不可能だろうということだ。

 観察するには観察者と観察対象が必要だ。観察者と観察対象の間には必ず時空が存在する。区別があり距離がある。観察者と観察対象は別々のものでなければ観察は成立しない。当たり前と言えば当たり前だが、観察対象に意識があるかどうかとなると、これが致命的な障害となる。

 意識とは言い換えれば自分、観察者そのものだ。観察対象に意識があることを確認するためには、観察対象もまた意識であり自分であらねばならない。しかしそれはあり得ない。観察者と観察対象はあくまで別々でなければ観察が成立しないからだ。別々であり観察対象である以上、観察対象がどのような振る舞いを見せようと、それは意識があるように見えるというだけで実際に意識があるという確認にはならない。

 と、ここまでは前置き。

 湯船に浸かって閃いたのは、すべての事象はあるひとつの真実を指し示しているのではないかということだ。なぜならこの世界にはあるひとつの真実しか存在していないからで、意識を通じて自分が認識する事象はすべて、あるひとつの真実から発生しているからだ。あるいはあるひとつの真実を、意識が様々な形をとって見せているとも言える。

 自分という意識が、ある事象をどれだけ醜悪で欺瞞に満ちたものだと認識しようと、どれだけ甘美で正当なものだと認識しようと、すべてはあるひとつの真実を指し示している。つきつめれば、善悪も正誤も真偽もなく、あるひとつの真実だけがある。それだけがすべてでありそれしかないからだ。

 観察者も観察対象も時間も空間も、あるひとつの真実を直接的に認識させないために意識が作り出す幻想なのだろう。

 そんなふうに閃きを言語化しているときに、上記のブクマを思い出したというワケ。

 そんだけの話です。