息子氏を寝かせるため、布団に入っていた時のこと。
何やら妙に胸が締め付けられるような、悲しい気分になっていました。
思考は、この感情にあおられて、自分の身の上に起きた様々な不運を嘆いたり、昔の悲しい出来事を思い起こしたりしています。
思えば、私の人生の困難はどこから始まったのだろう。あの時か、それともあの時か。辛いことは幾度もあったけれど、私の人格を歪めるほどの悲しみは、いくつかに絞り込むことができます。
やたら後ろ向きになったり、面倒くさがったりするようになったのは、あの出来事が原因だろうか。あれ以来、私は心のどこかに壁を作ってしまって、前に進むことができていないのだろうか。
それとも、あの時期が、私の価値観を歪めたのだろうか。
あるいは、あの出来事が、私の心に深く嘆きを沁み込ませたのだろうか。
この嘆きはいつから、私の心の底を流れ続けているのだろうか。
本当に?本当にこの感情は、そんな昔から私の心に居座り続けていたのだろうか?
ずっと続いていると思うのは、この嘆きの感情が見せる錯覚かもしれない。
本当は、今日どこかで、ふいに湧いてきただけの、浅い感情かもしれないじゃないか。
ついさっき、Aimerのカバーアルバムの中にある、ユーミンのカバー『リフレインが叫んでる』を聴いて、その切ないメロディと、そこから連想する思い出に触発されて湧いてきた、浅い感情かもしれない。
あるいはまた、その音楽をきっかけにして、心の底に流れていたものが表に出てきた、ということかもしれない。
感情は、心のどこかに隠れ続けるものなのかどうか、それとも泡のようにその都度、湧いては消えるだけの刹那的なものなのか、私にはよくわかりません。それを見極められるほど、私の頭は賢くないようです。
どっちにしろ、感情は抑圧せず解放していくことが大事だよな、と思った次第です。