心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

蔓延する暴力、未熟な心。

「力を持っているものが正義」という論理 - よもちかブログ

 今日はこちらのブログを読んで思ったことを真面目ぶって書きますよいいですか。

 よもちか(id:cka2)さんは、世界を支配する理不尽な力の象徴として「男性権力」という表現をされているのだと思うけど、僕はそれを「暴力」の一部として捉えてるんですよ。

 「男性権力」は「暴力」が形をとって現われたもののひとつで、「暴力」自体は性別を問わずあらゆる人間の内に遍在していると思います。肉体的・精神的・社会的に弱者であろうが強者であろうが関係なしで。

 ただ、そこまで風呂敷広げちゃうと収集つかなくなるので、今回はひとまず「男性権力」に絞って考えてみます。

 男性がなんで権力にこだわるかっていうと、おさるの時代から群のボスの座を争ってて、未だにおさる気質が抜けないとか、どうせそんなところなんですよ。基本おさるなんですよ。権力にこだわる連中って。人間性とかどうでもいいんです。だって人間性って何なのか理解できないから。おさるに人間性とか土台無理でしょう。

 そんなこと言うと本物のおさるに失礼かもしれないけど、本物のおさるはそれでいいんですよ。まだ野生で暮らしてますからね。彼らには車もないし銃もないしパソコンも核弾頭もない。だから思い切って権力争いできるんです。それはおさる社会を維持するのに必要だし、それでうまく機能してるんだから何も問題はない。

 でも人間はおさるじゃない。文明を生み出して、科学技術を生み出して、なんやかや作り出して、社会がもんのすごく複雑化してる。にもかかわらず、結構な割合でおさるが混じってる。というかおさるから抜けきれてない。技術の進歩に精神の発達が追い付いてないんですよね。手に入れた技術に見合うだけの精神を、人間はまだ手に入れてない。そこが一番の問題じゃないかと思うわけです。

 本来、っていう言い方も変かもしれないけど、本来人間は暴力でこの世界を生き抜いてきたわけだし、暴力こそが人間の生きる道だったはず。でもなぜか、権力や階級を否定して、平等とか平和とか言い出す「人間」が現れた。最初はそっちのほうがイレギュラーだったんじゃないかな。突然変異体みたいな。

 だけどそういう「人間」に感化されて、暴力一辺倒だった人間社会が、徐々に平和とか平等を目指すようになってきた。これには急速な技術の進歩も一役買ってるはずです。核弾頭とか作っちゃって、やべぇよこれ、下手すりゃ全滅だよってことで、恐怖心に後押しされる形で、しかたなく平和を維持しようとしてるみたいなことですよね。

 やっぱり男性権力から話が逸れてきたんで切り上げますが、最後に元記事からの引用。

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男性、そのなかでも特に「強い男性」は、ただ存在するだけで様々なメリットを享受している。人から攻撃されないこと、横柄な態度を取られないこと、一人の人間として尊重された扱いを受けること、抑圧を受けないこと、自由に発言し行動できること。

 実際にこういう人の例を見たことがあります。ガタイがでかくて、声もでかくて、顔がこわい。攻撃的で横柄で、尊重されたがる。下品で口が悪くて人を見下している。

 でもその内面は、孤独で臆病で愛情に飢えていて、いつも何かを恐れている。未熟で薄っぺらくて、小さな人間。「強い男性」っていうのは、一皮むけばそんなもんです。様々なメリットを享受していながら、内面は空っぽで、虚しさに怯えている。それを覆い隠すためにさらなるメリットを求めるという、虚しさの無限回廊をぐるぐるまわる、哀れで醜いおさるなんですよ。