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相撲と暴力と反省

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 昨日に続いて暴力の話です。

 2017年12月22(金) 20:18配信のJcastニュースの記事より。

 元横綱日馬富士による平幕・貴ノ岩への暴行問題を受け、再発防止のために日本相撲協会が研修会を開いた。そこで八角理事長が述べたとして報告された「何気ないちょっとした気持ちでやった暴力」という言葉が大きな物議を醸している。

  そういうことなんですよ。暴力が当たり前の世界にいると、それが暴力だということ、暴力はいけないことなんだという意識がものすごく希薄になる。

 相撲は格技として興行をしているわけですが、本来は暴力です。腕力で相手をねじ伏せる技術です。強いほうが勝つ、強さは正義の世界です。相撲以外にも観客を集めて興行したり、たくさんのファンがテレビを見て盛り上がるスポーツや格闘技はたくさんあります。

 より身体能力の優る者が勝者として報奨を得る。勝つためのトレーニング、勝つための技術、勝つためのお薬。人より優るためにあらゆる努力を惜しまない。その成果として勝者に与えられる金と名誉。

 いくらスポーツだ、格闘技だ、武道だと言ってみたところで、金と名誉と自己実現のために、力で相手をねじ伏せる勝者が賞賛されているわけです。勝者が賞賛。しょうしゃがしょうさんしょうしゃがしょうしゃんしょんしゃがしゃんしゃん。早口言葉みたい。

 相撲に話を戻すと、彼ら力士は強さを求められ、力をぶつけ合うことでお金を稼いでいる人たちです。部屋に入門した時から、あるいはその前から、強くなって横綱を目指そうと、まさに血のにじむどころか血をダラダラ流すくらいの努力をしているわけです。強くなれば褒められ、人気も出て、給料が増える。

 そんな世界で、暴力はいけない、なんて言ってたら強くなれるはずがありません。強さを求めることは暴力の一部なんです。稽古の痛みに耐え、怪我に苦しみ、一般人の想像を絶する苦痛の中から生まれてくる、常識を超えた強さと、その強さを支える極限の精神状態。心技体なんて綺麗事を言ってる余裕などあるはずがない。そんなことは引退してから好きなだけ言えばいいんです。

 彼らは暴力に育てられ、暴力を糧に生きる人種なんです。観客は彼らの闘う姿を見て、そこに自分の中の暴力衝動を投影することでストレスを発散する。スポーツや格闘技の人気の根元にあるのはそういう心理です。

 暴力はわかったから、せめて土俵の上だけにしろよと?そんなの無理無理。相撲に人生を賭けてるんですよ。生きることのすべてが相撲でなければ強くはなれない。土俵の上にいるときだけ力士をやってるわけじゃないんです。仕事嫌いのサラリーマンじゃないんですから。

 そういう人に、暴力はいけないことだよなんて言っても、ピンとこないどころか、意味が分からないでしょう。修羅の国の住人なんですよ。テレビや桟敷席で観ているだけの人間とは、住む世界が違いすぎるんです。

 本当の痛みや恐怖を知らない人間が、心の底では暴力を賞賛し、暴力に憧れながら、うわべだけ暴力反対を唱える矛盾。いやはや、滑稽かな。

 ところで、力士についての記述はすべてごくまの勝手な想像ですのであしからず。

 ほんじゃまた!

 

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