心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

行かないでパパン

 今週のお題「一番古い記憶」にちなんだお話をば。考えてみたら、はてなのお題に沿って記事を書くのは初めてかも。

 僕が幼い頃、父はその当時住んでいた借家の大家さんが営む会社に勤めていました。昭和ど真ん中の時代、地域にはまだまだ濃いつながりがあり、大家さんとその周辺の家々はみな家族ぐるみの付き合いがありました。

 そんな古き良き昭和の生活に衝撃をもたらしたのがオイルショック。そのあおりをくらって大家さんの会社もみるみる業績が悪化、父はリストラの憂き目に遭うのでした。母と3人の子供を抱え、職を失った父がどんな思いをしたのか、幸か不幸か今の僕にはよくわかります。同じようなことを経験したのでね。

 さて、どうにかこうにか次の仕事に就くことができた父は、生活パターンがガラッと変わりました。それまでは借家のすぐ隣の工場で働いていたので、幼い僕は父が仕事をしている時でも顔を見ることができました。ほとんど家で仕事をしているようなもので、出勤するという感じではありませんでした。

 なので、父が車に乗って出かける時は、ほぼ遊びに行く時でした。父は釣りが好きで、僕もよく父の車に乗って川へついて行きました。それが、ある時を境に朝から車に乗って会社へ出勤する生活になったのです。

 おそらく、父が初めて新しい職場に出勤する朝のこと。目を覚ました僕は、父が玄関から出て行く背中を見て、また釣りに行くのだと思いました。しかし父は何も言わず、振り返りもせずに玄関を出て行きます。僕は慌てて後を追いました。

 パジャマのまま外に飛び出すと、父が乗った車が出て行くところでした。僕は必死でその後を追いかけながら、行っちゃダメ!と泣き叫んでいました。僕の姿に気づかないのか、車は砂利道をゆっくり進んで、どんどん離れていきます。それでも泣きながら走る僕。

 車が道の角を曲がって見えなくなる時、僕は足がもつれて転んでしまいました。砂利道の尖った小石が右膝に刺さり、そこから真っ赤な血がつうっと脛を伝って流れました。

 泣いている僕の後ろから母が追いかけてきて、父は釣りに行ったのではなく、仕事に行ったのだと教えてくれました。その瞬間「なんだそうだったのか」とすんなり納得したというか、拍子抜けしたような気分だったのを覚えています。それでもなんだか引っ込みがつかず、背中に朝日の光を受けながら、しばらくその場に突っ立って泣いていました。

 その時の傷は長く僕の膝に残り、確か高校生くらいになるまで残っていました。一生消えないと思っていた傷は、気がつくと消えていましたが、その時の思い出は消えずに残りました。

 僕がまだ父のことを大好きだった頃の思い出です。僕の息子はいつまで僕を好きでいてくれるかな。