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ごくまトリックス

いらっしゃいませ。アニメ・子育て・雑文と、責任持てない与太話。あくまで個人のたわごとです。

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亡き伯父の昔話の思い出。虐待と非行、謝罪と更生。

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 嫁さんが平日の休みにひとりでショッピングセンターのおもちゃ売り場に行ったとき、DX妖怪ウォッチ零式が緊急入荷したとかで、レジ前に行列ができていたそうです。嫁さんも「こりゃ買っとかなかんわ!(これは買っておかなきゃ!)」と思って、慌てて並んだそうです。じわじわと前に進み、次がやっと自分の番というときに売り切れたそうです。

 「さすがに悔しかったわ……」と言っていましたが、ちゃっかり「超妖怪大辞典 ゲラポスティーニ創刊号」(妖怪メダルを入れるバインダー)と「妖怪ゲラポプラス」(ゲラポスティーニの拡張リフィル)は買ったそうです。金持ってんなぁ。

 さて、そろそろお彼岸の季節ですね。今年は9月20~26日です。今年はお盆にも墓参りに行ってないので、久しぶりに行かなきゃなぁと思っています。本家の墓もそうですが、生前可愛がってもらった伯父の墓にも。伯父には子供がなく、僕を含めた甥や姪たちをずいぶん可愛がってくれました。従兄弟と一緒にいろんな場所へ連れて行ってもらったり、誕生日にはアイスケーキ、正月には親戚随一の高額なお年玉をくれる人でした。

 伯父とのいろいろな思い出の中で、今でも忘れられない話があります。僕が中学生の頃、姉と一緒に喫茶店に連れて行ってもらった時のことです。伯父は子供の頃に太平洋戦争を経験していて、家族で名古屋から疎開してきたので、喫茶店に行くとよく戦時中の話を聞かされました。弟(僕の父)と一緒に親戚の家に預けられた話とか、そこのおばさんにいじめられた話とか。

 その時もたぶんそんな話から始まって、僕はかき氷を食べながら適当に聞き流していました。やがて話は伯父の青年期に移っていました。伯父の父親、すなわち僕の祖父は、伯父をずいぶん厳しく育てたようで、何かあるとすぐに平手打ちが飛んできて、殴られた伯父はふっとんで柱に頭をぶつけたり、ふすまを突き破ったりしていたそうです。時には母親つまり僕の祖母が伯父をかばって殴られることもあったとか。昭和の家庭って感じですね。

 伯父は一刻な性分で、そんな厳しい父親にも動ずることなく、殴られる直前まで父親を睨み付けていたそうです。一方、弟(僕の父)のほうはというと、祖父が怒りながら歩いてくると一目散に逃げていたらしいです。そんな話を聞いて、僕は密かに、普段強面の父を心の中で笑っていました。

 そんな育てられ方をしたせいか、伯父は成長するにつれてみごとにグレていったそうです。僕が知っている伯父は、みんなに優しく、笑顔を絶やさない人でしたが、父の弟つまり僕の叔父に聞いた話によると、昔はかなり怖かったと言います。

 生前、常に坊主頭で、色黒で、金ぴかのネックレスをして、オシャレにこだわりのあった伯父。高校生だった姉の友達がたまたま伯父を見たとき「あの人が伯父さん……?」としばらく絶句していたそうです。完全に怖い人だと思ったそうです。僕や姉やいとこたちはみんな幼い頃からそのルックスを見慣れているので全くわかりませんでしたが、外から見ると怖い人だったみたいです。今になって思い返せば、確かにあのルックスは、知らない人には怖かったかも。

 その伯父が現役でグレていた頃、何があったのかわかりませんが、突然祖父に呼び出されました。部屋に二人きりで、向かい合って座りました。伯父はまた小言を言われるのかと仏頂面をしていましたが、祖父は突然涙を流しながら、頭を下げて「お前がこんな風に育ったのは全部俺のせいだ。お前は何も悪くない。悪いのは全部俺だ。すまなかった」というようなことを言って謝りました。

 その瞬間、伯父は「まっとうに生きよう」と自分に誓ったそうです。それまでどんな風に生きていたのかは知りませんが、それ以来、伯父はまともな仕事に就き、結婚して所帯を持ち、僕が知っている優しい伯父になったようです。

 中学生の僕は、その話を聞いて「ふぅん……」くらいの感想しか持ち合わせませんでしたが、一緒に聞いていた姉はボロボロ泣いていました。伯父は「お姉ちゃん、ごめんなぁこんな話して」みたいなことを言いながら、喫茶店を出ました。

 僕も、大人になってからこの話を思い出すと、少し涙腺が緩むようになりました。子供の頃は「ふぅん」程度の話だったのに、なぜかいまだに忘れられず、思い出すたびにちょっと切ない気持ちになります。

 晩年、肝臓を悪くして死期を悟った伯父が、我が子のように可愛がっていた甥や姪や姪孫たちに向けて、感謝の気持ちを綴った手紙を読んだ時、真っ先にこの話を思い出しました。伯父が本当に祖父を許すことができたのか、祖父の謝罪で本当に救われたのかはわかりませんが、たぶん幸せだったんじゃないかと思います。

 この話を知っている人が、僕も含めて親戚の中に何人いるのかわかりませんが、いずれは消えてしまう思い出話なので、何か記録として残しておきたいなと思って、ここに書いておきます。

 以上!