心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

【マンガ感想】石ノ森章太郎 幻魔大戦【1967年】

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We're children of the linght

The future we will guide

 

 幻魔大戦と言えば、私のSF遍歴の中でも最初期に触れた作品で、読み始めたのは小学生の頃、と思っていたのですが、それは思い違いで、中学生の時でした。

 1983年、アニメ映画「幻魔大戦」が公開され、テレビでそのコマーシャルを見ていた私は、ローズマリー・バトラーの歌と、大友克洋の絵と鮮やかな色彩に惹かれまくりました。しかし一人で映画を観に行く術も知らず、親に連れて行って欲しいとも頼めなかった私は、映画をあきらめて原作小説を読もうと思ったのでした。

 しかし小説版の無印「幻魔大戦」(幻魔大戦には「真幻魔大戦」や「新幻魔大戦」があります)は、最初のほうこそ漫画やアニメと同じ超能力戦士が幻魔と戦うSFアクションものでしたが、途中から新興宗教団体のような話になっていき、平井和正の思索というか教義というか、そんな文章が延々と続く作品になってしまいました。

 まだ中学生だった私には難解すぎて、一応は文庫シリーズの完結20巻まで読みましたが、ほとんど苦行のような読書でした。そのトラウマのためか、以降、他の幻魔大戦シリーズには一切手を出しませんでした。でも平井和正の他の作品はよく読みました。

 さて石ノ森版の「幻魔大戦」を読んで一番印象に残ったシーンについてだけお話します。というのも、夏の24時間テレビ内で放送されたスペシャルドラマ「ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語」を見て感じたことと、今作の中で印象に残ったシーンがシンクロしたからです。

www.ntv.co.jp

 石ノ森章太郎は、トキワ荘時代に一番の理解者であり、支持者であった姉を病気で亡くしています。このことで彼は漫画を描くことができなくなり、世界中を経巡ったのち、再び筆を執り、膨大な作品を生み出しています。姉の死は、彼の作品に多大な影響を及ぼしたことは間違いないでしょう。

 その片鱗として、「幻魔大戦」の主人公である東丈(あずまじょう)の姉・三千子は、丈にとって一番の理解者であり心の支えであったのですが、幻魔との戦いの中で命を失ってしまうというエピソードがあります。この時の東丈の慟哭が、ドラマで観た石ノ森自身の悲嘆と重なって、強烈に胸を打たれました。

 若くして肉親を失うという苦痛を、自身の作品の中で主人公に追体験させるということは、石ノ森にとってどんな意味があったのだろうか。そんなことを考えました。

 漫画版の「幻魔大戦」は、少年誌向けということもあって、小説版とはかなり色合いが異なります。しかし、子供向けであるがゆえになおさら、戦争の悲惨さ、人間の愚かさ、仲間との絆といったものが強調して描かれているのでしょう。

 普遍性とは、今話題の教育勅語のような、硬直した概念やお題目の中にあるのではなく、人が心で感じ取る無形のものにこそ宿るのではないでしょうか。

 ということで、本日もお粗末さまでした。

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【今日の戯れ言】教育勅語に関する騒ぎ、道徳というものの欺瞞【独り言】

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ただ我が道を 全力きたぜ

振り向かないで ひらすらきたぜ

 

 最近、文部科学省大臣になった人が、教育勅語には現代でも見習うべきものがあるという旨の発言をしたとかで、ちょっとした騒ぎになっているようです。普遍性があるとかなんとか。

 私自身は教育勅語をちゃんと読んだことがないので詳しくは知りませんが、それなりに内容は把握しているつもりです。古い家には明治天皇の絵姿と共に教育勅語が書かれた掛け軸などが、未だに床の間に掛けられたりしていますし、複製の新品がネットで売られたりしています。

 教育に関する行政をつかさどる文部科学省のトップが、教育勅語の復活を目論むような発言をしたことが、今回の騒ぎの根本にあるわけですが、そもそも教育勅語に限らず、国が道徳を語ること自体が危険だという認識を持つべきではないのかと思います。

 いや、国であろうが親であろうが、「道徳」というものを語ること自体、その名に反して人の道を誤らせる危険をはらんでいます。

 ざっくり言えば、健全な社会生活を営むために行動規範を持ち、善人として生きよというのが「道徳」の目指すところでしょう。そしてそれを教えるのが「道徳教育」です。

 しかるに、道徳という概念でもって人を縛ることが、人の健全性を歪めるのだとしたら、果たして道徳はその名に値するだろうかという疑問が当然のように湧いてきます。

 優しくあれ、親切であれ、人との関係を大切に。それはもちろんそうなんでしょうきっと。しかし、それは言われてできることなのでしょうか。もし誰かにそうしろと言われてするならば、それは本当の優しさ、親切と言えるのでしょうか。

 善の心は、人真似をしたり、人に教え込まれて作られるものなのか、それとも生まれつき備わっているものなのか、あるいは歪みなく発達した心に生じるものなのか。

 おそらく、そのどれでもあり、どれでもない。

 善とは何かを教えることはできない。善がパターンに沿った決まり事であるなら、教えることもできるでしょう。しかし、そうではない。いつどのような状況で何をなすべきか、その全てを教えることは不可能だし、教えるべきでもない。人生そのものがパターンに当てはまらない、道のない広大な世界だからです。

 人生に道はないのだから、道徳を語ることに意味などない。そう思いませんか。

 ま、片道20分の通勤路を毎日通っている私が言うこっちゃないですけど。

 それでは、本日もお粗末さまでした。

道 -UC30 若返る勤労 Remastered-

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危ない「道徳教科書」

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【アニメ感想】宇宙戦艦ティラミス -2期-【くだらない面白さ】

tiramisu-anime.com

 

孤独と溜息が混ざりあい

宇宙(そら)に溶けてゆく

 

 BS11他で放送が始まった「宇宙戦艦ティラミス」を録画して観ています。といってもまだ1回だけ。1期は見逃しました。なおかつ単行本の1巻だけは読んだ、という中途半端な状態です。

 くだらない面白さだという噂は耳に挟んでいたので、気にはなっていたのですが、なかなかチェックできないまま今日まで来てしまいました。くだらない漫画は大好物なんだけどな。

 2期の1話を観る前に、単行本の1巻を読んで、だいたいの世界観を把握しました。

 うむ、確かに、くだらない。

 こういうくだらなさ、嫌いじゃない。むしろ好き。

 主人公は起動兵器「デュランダル」を操るエースパイロット、スバル・イチノセ。愛知県豊田市出身。中日ファン。SFのはずなんだけど。

 単行本の第1話が、コクピットの中で串カツを食べようとして、千切りキャベツごとぶちまける、っていう話。これだけでもうくだらなさ全開でしょう?

 シゲルコ・ホンダっていう整備士のおせっかいおばちゃんが登場して、彼女が名古屋弁を話すんですよ。主人公は豊田出身だし、原作者の宮川さんは愛知県の人なんですかね。

 アニメ2期の1話を観てたら、主人公のお兄さん・イスズが登場して、どうやら敵勢力の兵士みたいなんですけど、彼が街に出たスバルの行動を指して、いちいち「いやらしいだろ」って言うんですよ。そのセリフにかぶせて「いやらしい=恥ずかしい」っていう文字が画面に出るんですが、それを見て初めて、名古屋圏の「いやらしい」って方言だったんだなと意識しました。確かにこの近辺のおばさんは、周囲の目が気になることに対して「いやらしいでやめときゃぁ」(恥ずかしいのでやめておきなさい)とか言います。

 今ごろ気づいたんですが、登場人物の名前がだいたい車に関連した名前なんですね。

 スバルにイスズ、ホンダ、あとハマーにマイバッハ、キャデラック、マスタングガヤルドとかね。スバルのお父さんはなぜかソウイチロウだし。

 アニメでは兄のイスズの声を櫻井孝宏さんが当てていますが、彼は愛知県岡崎市出身。声優まで愛知県勢を起用する念の入れよう。櫻井さん一人だけど。偶然?

 そういえば最近思ったんですが、櫻井孝宏さんはお兄さん役が多い。「天狼 Sirius the Jaeger」でも主人公のお兄さん。あとは……あとたぶんいろいろやってます。とにかくお兄さん役が多い印象。落ち着いた声質がお兄さんぽいしね。

 「宇宙戦艦ティラミス」2期、最後まで見届けたいと思います。あと1期の再放送とかCSで始まったら観る。大げさでくだらない漫画やアニメが好きな方にお勧めします。

 ということで、本日もお粗末さまでした。

TVアニメ「宇宙戦艦ティラミス」主題歌 Breakthrough/DURANDAL

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宇宙戦艦ティラミス?地球限定コンプリート版[Blu-ray]

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歩きのおばさんと、車のおじさんと、自転車の女子高生

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えーびばでい SAMURAI SUHI GEISHA

びゅうていほーる FUJIYAMA HA!HA!HA!

 

 先日、通勤時のできごと。

 信号待ちで止まっていると、交差する道の信号が黄色になり、もうすぐ赤になるという場面で、道の右側から60代くらいのおばさんが横断歩道を渡り始めました。

 おばさんは、渡り始めは急いだ感じで、ちょっと駆け足でしたが、道の真ん中あたりでもう渡り終えたような顔をして、普通に歩いていました。おばさんあるある。

 自転車に乗ったおばさんもそうですが、車が近づいている時や信号が変わりそうなとき、渡り始めは急ぐんですが、だいたい半分くらいで渡り切った感を出しながら普通のペースで歩くんですよね。片側一車線の、たいして広くない道でも一緒。

 その時も、道の真ん中でスピードを緩めたおばさんが、道を渡りきる頃には、こちらの信号は完全に青でした。

 私の前に、一台の営業車が止まっていました。後ろから見た感じ、乗っていたのはたぶんおじさん。朝の通勤時間帯、おじさんもちょっと急いでたんでしょうね。おばさんが道を渡りきるかどうかというタイミングで車を発進させ、おばさんのそばギリギリをかすめるように走っていきました。後ろから見ていた私が思わず「危ない!」と思うほどギリギリ。思わず思うってどういうこと。

 おばさんは、自分の横ギリギリを車が通ったことに気づいていたのかいないのか、ヘラヘラ笑いながら、道端の喫茶店に入っていきました。

 私は車を発進させ、危ないおっさんだなぁと思いながら、しばらくその営業車の後ろについて走っていました。

 数百メートルも走ったところで、道の右側に、道路を渡ろうとしているような雰囲気の、自転車に乗った女子高生がいました。しかし、私の前につながった車列はそこそこスピードが出ていて、3台くらいそのまま通り過ぎていきました。

 私の前を走っている危ないおっさんも、当然そのまま通り過ぎるだろうと思いきや、なんと女子高生の手前でブレーキ。意表を突かれた私は、若干の急ブレーキを踏んでしまいました。

 女子高生は、危ないおっさんにペコリと頭を下げて、道を横断していきました。後ろにいる私には当然見えていませんが、おっさんがいやらしいニヤニヤ笑いを浮かべているのではないかという想像が頭を過りました。

 さっきのおばさんとの扱いの違い。その差は歴然。まさに雲泥。

 歩いて道を渡るおばさんには「チンタラ歩いてんじゃねえよババァ!」と悪態をつきながら、自転車に乗った女子高生には「ほら、早く渡りな、お嬢さん」と優しい笑顔を見せる、いやらしいおっさん。という想像。

 その気持ちはわからんでもないが、それはあからさますぎやろ、と後ろで見ていて思いました。

 もしかすると、あのおじさんにも女子高生の娘がいて、自転車の女子高生と自分の娘を重ねて見ていたのかもしれない。だとしてもだ。あのおばさんに対する危険運転はアウトだよおっさん。ミラーが当たって怪我でもさせてたら逮捕だよおっさん。富士山ナンバーの社用車のおっさん。ていうか富士山ナンバー初めて見ました。あれは山梨か静岡かどっちなんですかね。

 調べてみたら、両県の富士山周辺地域の市町村らしいです。範囲広いな。

 ということで、本日もお粗末さまでした。

FUNK FUJIYAMA

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モアイの夜明け

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TVアニメ「女子高生 GIRL’S-HIGH」オリジナルサウンドトラック

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あなたはエンデュミオン?わたしはペンデュミオン。

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身体中を 光の速さで

駆け巡った 確かな予感

 

 先日、「劇場版 とある魔術の禁書目録 -エンデュミオンの奇蹟-」がBS11で放送されていたので、録画しました。新聞のラテ欄でタイトルを見て「エンデュミオン」が気になって思わず。録画しただけでまだ観てません。

 このブログのタイトルは「ペンデュミオンの螺旋」ですが、私はこのタイトルを適当な思いつきでつけたので、特に元ネタはないと思っていたのですが、もしかすると「エンデュミオン」という言葉をどこかで見ていて、それが元になって「ペンデュミオン」という造語が頭に浮かんだのかもしれません。

 エンデュミオン(エンデュミオーン)はもともとギリシャ神話に登場する人物の名前ですが、「とある魔術の~」では、宇宙エレベーターの名前として使われています。宇宙エレベーターと、ギリシャ神話の登場人物にどういった関連があるのか、調べてみました。

 ギリシャ神話のエンデュミオーンは、とある女神のセレーネーに見初められますが、彼は人間なので女神と違って年を取ります。それに耐えられないと思ったセレーネーは、ゼウスに頼んで彼を不老不死にしてもらいます。その副作用(?)として、エンデュミオーンは永遠の眠りにつきます。セレーネーは毎夜地上に降りて、眠るエンデュミオーンの傍らに寄り添っているということです。いくら不老不死でも、永遠の眠りについたんじゃ死んでるのと同じじゃね?と思うのは私だけでしょうか。

 一方、「とある魔術の~」に出てくるエンデュミオンは、オービット・ポータル社という会社が開発した宇宙エレベーターです。その会社の社長であるレディリーという女性は、ギリシャ占星術の巫女という設定で、千年以上も前から不老不死の体で生きているということになっています。

 はい、ここでギリシャ神話と不老不死で繋がりましたね。

 ちなみにこのブログのタイトル「ペンデュミオンの螺旋」は、エンデュミオンとは全く何の関連もありません。強いて言えば、字面が似てるだけです。

 「ペンデュミオン」で検索すると、このブログの記事か、ブログ更新のお知らせツイートで1ページ目(10件)が埋まります。検索結果の2ページ目(12件目)でようやく、切削工具で有名なOSGのハイススクエアエンドミルが出てきますが、ページ自体は消えています。一体どういう関係が……?昔やってた仕事でよく使ったなーエンドミル。

 ところで私、「とある魔術の禁書目録」って観たことないんですよね。気にはなってたんですが、ずっと観そびれたまま今に至ります。録画した作品を観てハマるかどうか。いきなり劇場版を観て楽しめるかどうか。

 気になってても観てないアニメはたくさんありますが、何かきっかけがないとなかなか観ないもんですね。観る時間がないというのもありますけど。物語シリーズとか、面白そうだけど、こんだけシリーズが長くなっちゃうと、どからから観ればいいのやら。まぁ、そのうち観ると思います。

 というわけで、本日もお粗末さまでした。

only my railgun TVアニメ「とある科学の超電磁砲」OPテーマ

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