今は強くなるより
ありのまま生きる
道を選びたい
同じネタでもう3回目になるので、【シリーズ内観】ということにしました。
どうにもこうにも気持ちがすっきりしないので、何かで気が紛れている時以外は、ほぼ一日中このことを考えています。考えているというか、ずっと胸にもやもやしたものがあって、無視できないんですよね。ふと気づくと、なんだか胸が詰まっている。だから自然と意識はそこに向いてしまうわけです。
これだけ深刻なスランプも珍しい。何年かに一度あるかどうかです。ただ、こういう深刻なスランプを乗り越えたら、こんな私もちったぁ進歩するんじゃないかと思います。
今日も今日とて、無視できないもやもやを仕方なく観ていたのですが、ふいに頭に浮かんだのは、このもやもやしたものは、自分の心の声なんじゃないか、ということです。頭で考えている言葉じゃなくて、心の奥底から浮かんでくる微かな声。自分が本当に望んでいること。本当の想い。そんな感じのもの。
やる気が出ないのは、自分が心から望んでいることと、頭で考えていることがズレているからなんだと。やりたいことと、やらなければいけないことの乖離が激しいのだと。そんな気がしたんです。
じゃあ心は一体何を望んでいるのかというと、それがさっぱりわからない。何か言いたいことがありそうなのに、何を言いたいのかわからない。あるいは、心が言いたいことというのは、頭で理解できる言語とは違うものなのかもしれない。
たぶん、心の奥にあるものは形がはっきりしていないから、頭では捉えきれないのじゃないかと思います。頭は、言語なりイメージなりがある程度はっきりしていないと認識できませんが、心の奥にあるものは、得てしてぼんやりと曖昧なものです。
頭でごちゃごちゃ考えていると、心の声はすぐにかき消されて聞こえなくなってしまう。だから静かにしなきゃいけないんですが、そうはいかないのが頭の困ったところ。心の声に意識を向ければ、反射的にそのことについてあれこれ考え始めてしまう。
頭は心の声を聞かない。人の話を聞かない子どもと一緒です。自分のおしゃべりに夢中で、静かに耳を傾けることができないんです。ああ困った。困ったと言っているのも頭。心は何も困っていない。ただ何かを訴えているだけ。
心の声を聞こうとすれば、頭が反射的にしゃべりだす。かといって、聞かなければ何もわからない。手詰まりです。
これを書いている間も、心はずっと何か訴えています。ただ、私にはそれが胸のもやもやとしか認識できません。なんだかなぁ。
本当は、すべて心に委ねてしまえば何かがわかるのかもしれない。だけど頭はそれが怖い。自分がコントロール権を失うことが怖いんです。その一方で、頭が心をコントロールしようなんておこがましいことなんじゃないかという気もしています。
ああ、わからん。わからんのだ。
あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから
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