心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

問題は借金じゃないのかもしれないという気がしてきた

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 違う違う、そうじゃ、そうじゃない、ごくまです。

 かれこれ10年ほど、ずっと借金にまみれた生活をしておるわけです。来月は破綻するかもとか、3カ月後は返済の当てがないとか、毎月毎月そんなことばかり気にしながら、この10年をやり過ごしてきました。

 派遣で稼ぐ定期収入はほぼ全額借金の返済に充てられ、副業が生活費になっている状態ですが、この副業がまぁ安定しない。そのため、足りない分はまた借金で補ったり、保険を解約したり、なんとかかんとかごまかしながら、つつましく人並みの生活を維持してきました。

 自分でも思うのですが、この10年はちょっとした奇跡の連続でした。本当にもうダメだと思うと、ひょいと仕事が舞い込んできて、儲からない程度に収入ができる。今度こそ嫁に借金をカミングアウトしなきゃいけないかもと思うと、また仕事の依頼が来る。借金を積み重ねながら、それなりに収入があるフリをして、家族を遊びに連れて行ったり、人並みに誕生日を祝ったり、子どもにはおもちゃを買ってあげたり。

 普通に考えたら、そんなのまず無理じゃないですか。3カ月後に借金返済に充てるだけの収入があるかどうかわからないのに、下手すりゃ来月どうなるかもわからないのに、家族には何も問題ない顔して暮らしてるんですよ。とぼけた顔してババンバンですよ。なんでこの状態で10年もやってこれたのか、自分でも不思議で仕方ないです。

 本当はね、頑張れば、もっと早く借金を返せると思うんですよ。仕事の話はあるし、どんどん依頼を請けて仕事をこなしていけば、もうとっくに半分は返しててもおかしくない。でも、そうしない。体力的にキツいというのもあるけど、根本的にやる気がない。税金の督促状が来たり、ローン会社から電話があったり、月末にドキドキするのはもう嫌なのに、できるだけ早く返済してしまいたいのに、やる気が出ない。

 なぜだろう。やらなきゃいけないのに。なんでやる気が出ないんだろう。いや、やる気が出るときもあります。でもだいたい1年のうち3ヶ月くらいしかもたない。その3ヶ月でがんばって仕事して、それなりに収入があって、ちょっと余裕ができたと思うとすぐやる気がなくなる。そしてまた来月はどうなるかとドキドキする。いやドキドキするくらいなら仕事しろよと思う一方、どうにも体が動かない。

 もう何年もそんなことを繰り返して、いい加減うんざりしてきました。なんだかんだで借金も膨らみ続けて、いよいよ返済が厳しくなってきました。本当に今度こそ来月はヤバい。でもいまだにやる気が出ない。これは一体何なんだろう。自分の心に何か問題があるのかな。鬱なのかな。だとしても精神科に行く金もない。

 だけど、ここ数日で、かすかに見えてきたものがあります。自分の心の奥底にある、やる気を阻害している何らかの壁のようなもの。おそらく、自分が一番見たくないものがそこにある気がします。今まではうっすら気づいていたかもしれないけど、全く見ようとしなかった。それがうすぼんやりと見えるようになってきた。恐ろしいけれども、「それ」があることがわかってきました。

 本当の問題は、借金じゃない。やる気が出ないことでもない。意識の奥底に横たわる何か、自分が無意識のうちに絶対見たくないと思っている何か。そいつが本当の問題のような気がしています。たぶん10年前、いやもっと遡って20年近く前から、「それ」はそこにあったんですきっと。でも目を背けてきた。

 この文章を書きながら、意識がそれを露わにし始めているのを感じます。ああヤバい。見たくないぃ。でも「それ」をなんとかしないと自分は前に進めない。「それ」はたぶん、あの出来事が原因のトラウマだとか、わかりやすく自分に説明できるようなシロモノじゃない。言葉では補足できない。理解できない。解読できない。そういう何かだきっと。

 いやでもわからない。「そういう何かだ」と言ってしまうことすら憚られる。違う、言葉じゃない。理屈じゃない。不定形のもの。不定形……ショゴスみたいな?テケリ・リ!テケリ・リ!いや違う。

 不定形の「それ」を、言葉にしないで不定形のまま見てみよう。言葉を介すれば「それ」は見えなくなるだろう。言葉は容易に心の目を眩ませる。それは私の……私の……いや、やめとこう。言葉よ去れ。この考察も、ただの現実逃避にすぎないかもしれないのだ。

 ではまた!

違う、そうじゃない 

違う、そうじゃない 

 

 

新訳 狂気の山脈

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