心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

超小学生級のうまい絵より、小学生並の下手絵が評価されるのはなぜなのか

 昼間はまだ暑い日があるものの、季節はすっかり秋。入道雲を見かけなくなり、空が高くなってまいりました。先日は地平線から昇って間もないピンクのスーパームーンを、帰りの通勤路で拝むことができました。

 夏バテも解消され、俄然食欲が旺盛になるこの時期。飲み過ぎ食べ過ぎには気をつけたいものです。そうは言いつつ、冬に向けて脂肪を蓄えんとする野生の衝動に容易く翻弄されるごくまです。
 外に出るのが気持ちの良い季節になると、思い出すのが写生大会。爽やかな青空の元、画板を首に掛け、水彩パレットと筆洗いを持って外をぶらつくのは楽しいものです。
 神社の石段にでも腰を下ろして、狛犬やら社殿やらを画用紙にスケッチしましょうか。スケッチが終わったら筆を濡らしてパレットをちょちょいと撫でて、スケッチに色を乗せていきましょう。さぁ、目にも鮮やかな色彩が、白い画用紙の上にあなたの目を通して新しい命を描き出します。
 やがてパレットは混沌と化し、筆洗いは得も言われぬ暗い水を湛えるでしょう。その頃には、あなたの描こうとするものが画用紙の上にその姿を完成させています。それを見たあなたはきっとこう思うはず。
 
 
 「なんか違う」
 
 しかしもう時間がありません。完成した絵がどのようなものであろうと、提出せねばなりません。よしんばこれ以上手を加えたとしても、あなたの思い描く理想の状態からますます遠ざかるばかりでしょう。焦りはやがて諦めに変わります。
 
 
 「ま、いっか」
 
 そうして提出したテキトーな絵が、小学校で賞をもらったことがあります。それは狛犬でも社殿でもなく、神社に生えていた一本の杉の樹でした。まっすぐだから描きやすい。それだけの理由で選んだ画題。
 賞に選ばれたことをクラスで発表した担任の先生も、僕の絵を見て首をかしげていました。僕も同感でした。なんで選ばれたの?しかし先生によると、選考理由は「勢いがある」だそうです。パレットに出した絵具を消化するため、いろんな色を使って適当に葉っぱを描いたことが評価されたようです。
 その一方で、僕なんかより明らかに「画力」のある子もいました。小学生でそこまで描くか?というレベルの、半端ない絵力(えぢから)です。しかし、そういう本当にうまい絵は、賞をもらうことがありません。なぜなら「小学生らしくない」からです。うますぎて賞がもらえないなんて……子供ながらに大人の勝手な理屈にモヤっとしたのを覚えています。
 今どきの写生大会の選考基準がどんなものかは知りませんが、やはりうますぎる絵は敬遠されるものなのでしょうか。なぜ真剣に描いて上手にできた絵でなく、適当に描いたいい加減な絵に賞が与えられるのでしょうか。真剣に取り組んだ子は、自分の作品より明らかに劣る絵が選ばれるのを見てどう思うでしょうか。全くもって日本の教育は以下略。
 本日は以上でございます。