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【読書感想】「三体III 死神永生」【ネタバレあり〼】

※ネタバレを含むため、承知の上で読んでください。

gokumatrix.hateblo.jp

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 そういえば「三体II 黒暗森林」の感想を書いていなかったことに今さら気づいた。楽天で割引セールだった電子書籍を持っているのだが、今は読み返す元気がない。

 1冊目の感想記事を書いたのが2019年。3年越しの3部作読了である。前の感想記事はですます調で書いていた。つまり、このブログの文体も変わってしまうくらいの時間が経過したのだ。自分で意図的に変えたんだけど。

 去年と一昨年と3年前の出来事が区別できないくらい記憶力があいまいみーになっているというのに、この大長編を全部覚えていられるわけがない。もっと言えば、図書館で借りて上巻を読んだのが去年の夏ごろで、下巻を半年待たされてようやく今読み終えたのだから、上巻の内容すらあいまいである。さらに言ってしまうと、この下巻1冊においてさえ、最初のほうの細かい内容は記憶が薄れている。ヤバいな。

 それでも、1冊目から加速・膨張し続けるこの物語の勢いは記憶に残っていて、これ以上どんなすごい展開があり得るのか、この盛り上がりがいつ失速するのかという心配をよそに、これでもかと予想を裏切る(というよりもう予想なんてできてなかった)展開に喰らいついていくのに必死だった。

 タイトルが「三体」なのに、最後はもう三体なんてどうでもよくなってる。いや、どうでもよくはないけど、少なくとも「問題」ではなくなっている。宇宙の寿命が尽きるところまで行っちゃってるから。

 とても全編を通しての感想などは書けないので、まだかろうじて記憶に新しいこの下巻の中で、特に印象に残ったシーンを挙げてみたい。

 白Iceが「紙切れ」を危険だと直感することになる悪夢。その悪夢に登場した丁儀が、悪魔的な哄笑を上げながら放ったセリフ。

 ”手つかずのテーブルなんてないし、宇宙に純潔な乙女なんていない”

 ここが一番ゾクゾクした。あまたある宇宙文明が、生き残りをかけた戦争の果てに、地球人類が不変と信じていた物理法則を捻じ曲げてきたことの結果として、現在の宇宙がある。自然の法則にしたがい、自然に発生したものだと思っていたら、実は人為(?)的に作られたものだった、という設定。

 つい最近読み返した「BIOMEGA」(弐瓶勉)や、漫画版「風の谷のナウシカ」(宮崎駿)に通じるものがある。人が無条件に信頼を寄せる「自然」とは何ぞや?この宇宙はどこまでが自然で、どこからが人工なのか。この問いはすなわち、どこまでが神の技で、どこからが人の技なのか、とも言い換えられる。

 そして、物語のラストでは、第三部の主人公である程心が、地球人類の生き残りとして宇宙に対する責任を果たそうとする。彼女は自身の回顧録で語っているように、常に責任を全うすべく人生を送ってきた。そしてその責任を果たそうとして、一度ならず二度までも、人類を滅亡の危機に陥れたという罪悪感に苛まれる。

 しかし、ここで私は思う。程心を含め、およそ宇宙に存在するすべての意志は、宇宙の法則を捻じ曲げてきた文明も、そうでないものも、宇宙から生まれ、宇宙の一部として機能したに過ぎない。物理法則の濫用も、低次元への崩潰も、宇宙から独立した、宇宙とは別個の存在によって成されたことではなく、宇宙そのものによって成されたことである。すべての意志、すべての文明は、それを実現するための機構でしかない。

 宇宙の中にあり、宇宙の一部であるものが、宇宙に対する責任など持ちようがない。宇宙に「対する」ものなど存在しない。この世界に宇宙以外のものはないのだから。

 とすれば、先ほどの問いの答えは「すべては神の技である」ということになる。

 そして、お釈迦様の掌から出られない孫悟空の話を思い出す。どこまで行っても、すべては神の掌の内にある。

 このことは、程心たちが地球で出会ったジェイスンという老人の言葉に通じる。

 ”人間、どこへ航海しようと、結局いつかは、この灯台が示す方角に向かうことになる。すべてが移ろいゆくこの世の中で、死だけが永遠だ”

 すなわち「死神永生」ということであろう。

 程心たちの最後は描かれない。ここまで加速・膨張してきた物語は、最後の最後で明確な結末を示すことなく終わる。いつ「爆発」するのか、ドキドキしながら限界まで膨張してきた風船は、かすかな圧力の残滓と共に消え失せる。

 「あ、こういう終わりなんすか……」という、ほのかな拍子抜け感。同時に、読者のご想像にお任せするタイプの余韻の残し方も、これはこれでアリかな、とも思う。

 その、読者のご想像で描かれた二次創作小説も、邦訳が出るらしい。劉慈欣の他の作品もこれから邦訳本の刊行が予定されているというので、楽しみに待ちたいと思う。