気がつけば前回の更新から1カ月も過ぎていました。
緊急事態宣言で世間のみなさんが外出自粛している間は、このブログのアクセスも宣言前の2倍に伸びました。2倍でも1日200カウントくらいですが。それが、緊急事態宣言と一斉休校が終わった途端に、通常の半分に減りました。現在は平均して50カウントくらいです。なんでや。更新頻度が極端に落ちたからですね。
ブログの更新はもう気が向いた時しかやりませんが、はてなのブクマ活動はほぼ毎日しています。先日、面白い増田(アノニマスダイアリー)がホッテントリに上がっていました。
75年生まれの俺を作ったゲーム10本を全力で紹介する
あとで書く
2020/06/20 06:53
これに触発されて私もこれまでにハマったゲームを書いてみようと思った次第です。「俺を作った」とまで言えるかどうかはわからないので、単にハマったゲームとしました。
思えば私もゲームは好きなほうで、子どもの頃はもちろんファミコンはまだ存在してなくて、テレビゲームなんてまだまだ一般には普及していませんでしたから、主にパソコン(NECのPC-8801mkIIFR)を手に入れた高校生あたりから、私のゲーム人生が始まったと言えるでしょう。
初めて買ったゲームは、たしか「ブラックオニキス」だったと思います。もう30年以上昔のことなのでうろ覚えですが、昔のVHSビデオパッケージみたいな箱に5インチのフロッピーディスクが入っていた気がします。価格は1万円くらいだったような。
従兄が私に先んじて買ったPC-8801mkIISRで、カセットテープから読み込む「ドアドア」や「野球狂」を遊ばせてもらったりしていましたが、いかんせんアクションゲームが苦手な私は、アクション要素のないRPGを選んだわけです。
「ブラックオニキス」はBASIC言語で書かれていて、ゲームをロードしてからLISTコマンドでソースコードを見ることができました。コピーガードという概念がなかった時代です。牧歌的。
余談はさておき。
「ブラックオニキス」でRPGの楽しさに味を占めた私。次に買ったのはアクションRPGの祖と言われる「ハイドライド」の続編、「ハイドライドII」でした。アクション苦手ゆうたやん。
次は「ドラゴンスレイヤー」の続編「ザナドゥ」です。これもアクションRPG。当時のRPGはとにかく難しくて、「この謎が解けるもんなら解いてみろ」と言わんばかりの内容でした。なのでゲーム雑誌の攻略特集記事は必読。地道なレベル上げ作業は当たり前に必要で、しかもステータスの割り振りを間違えるとまずクリアできないという、やっかいな代物でした。
BGMも短いフレーズを延々と繰り返すものだったので、今でも容易に思い出すことができます。
そしてアクションRPGと言えば忘れちゃならない「イースII」さっきからシリーズの2作目ばかりですが、タイミング的にそれが発売されてたんだからしょうがない。1作目から遊ぼうと思っても、1本1万円近くするソフトを、当時の高校生のおこづかいでホイホイ買えるもんじゃありません。
アクションが苦手なはずの私がハマった最後のアクションRPGが「ソーサリアン」です。横スクロール画面で、短いシナリオが9本も入っており、アイテムの調合やパワーアップ、キャラクターのレベルアップを「周回」で楽しめる、当時としては画期的でお得感あふれる稀有な作品でした。
システムディスクとシナリオディスクの2枚挿しで遊ぶ仕組みで、ロードが始まる前にシナリオディスクを入れ替えるとエラーが発生して、キャラが不老不死になったり強力なアイテムが手に入ったりという、下手をすればデータが壊れるハイリスクな遊び方をしていました。今で言うチートプレイみたいなもんですね。
アクションRPG以外では、戦略シミュレーションゲーム「大戦略」にもドハマりしました。あまりに長時間遊んでいたため、脳内が大戦略モードになり、自分の実生活の一つ一つの行動がターン、移動残量、燃料消費量、残弾数として勝手に解釈され、自動的にカウントされるという現象が起きました。
「大戦略」の亜種で「マスターオブモンスターズ」という作品も遊びました。これは兵器がモンスターに変わっただけで、内容的には大戦略と同じようなゲームでした。
戦略シミュレーションというと「三国志」も友達に借りてやりましたが、長くやっていると「自分は一体何をしているんだろう」という疑問に駆られ、クリアしないまま終わりました。今Wikipediaで調べてみたら、音楽を担当していたのは”あの”菅野よう子さんだそうです。マジか。でもどんな音楽だったか全然思い出せませんすいません。
というわけで、高校時代にハマったゲーム歴はだいたいこんなもんです。
次回へ続く!