「いまのすべては 過去のすべて
必ずまた会える 懐かしい場所で」
去年の春ごろにテレビで放送されたのを録画してて、それをようやく観たんだよ。
途中まで、ちびりちびりと時間のあるときに観てたんだけど、残り3分の2くらいをまとめて最後まで観た。
最初のほうはね、まぁ絵は綺麗だなと思って観てたよ。かぐや姫が竹から生まれて、山郷でどんどん成長していくところは、日本昔話って感じだね。
育ての親である翁が、都で高貴な姫として「竹の子」を「かぐや姫」に育てようとするところなんかは、男社会の論理に翻弄される女性の姿という感じで、風刺が込められてるんだろうね。
身分の高い男連中が、かぐや姫をモノにしようと、宝物をねつ造したり、言葉巧みに口説いたり、落ちて死んだりするんだよね。あの人たちのキャラ造形は、実際に彼らを演じた役者さんの顔に似せてるよね。橋爪功さんとか、伊集院光さんなんかは、事前に知らなかったけど、すぐわかったよ。彼らを拒絶したかぐや姫は、そのせいで彼らが不幸になったと、嘆く必要もないのに嘆く。
あと、御門のアゴはなんだろう。演じている俳優さんが似ているという法則に照らしてみれば、中村七之助さんのアゴが長いということなのだろうが、画像検索で顔を見ても、確かに面長ではあるけど、あそこまでじゃない。デフォルメってことかな。
都で男たちの思惑に振り回されるごとに、かぐや姫は不幸になっていくんだけど、そこに御門があのアゴでトドメを刺してしまう。とうとうブチギレたかぐや姫は、もう帰る!とばかりに衝動的に月の使者を呼んじゃうんだよね。
自分の正体を思い出したかぐや姫は、地球上でもっと自然な生き方をしたいと願って、幼少の頃に遊んだ山で、幼馴染の捨丸と再会して、ほんのひと時だけ、本当に好きな人と愛し合う喜びを味わうのだけど、どうあがいても地上に残ることはできないと知ってて、すいっと都に帰っちゃう。
捨丸はかぐや姫、かつての「竹の子」と再会した喜びを夢だと思って、日常に戻っていく。切ないよねぇ。こういう話、現実でもあるよねぇ。あの時あいつと付き合ってれば、みたいなね。まぁ幻想なんだけどさ。
月からお迎えが来て、かぐや姫が帰っていくクライマックスの場面。月の使者の中心にいた人、すごくお釈迦様っぽいんだけど、お釈迦様なの?ゴータマなの?ホトケなの?全体的に仏教の「来迎図」だったね。天女とかもいたりして。
かぐや姫を連れ去られまいと翁が雇った兵隊が、月の使者の一団に向かって矢を放ったとき、どうやってあの矢を防ぐのかな、ってちょっと期待して見てた。バリア的なものに当たって落ちるのか、じゅわっと蒸発するように消えるのか、どうなるのかなと思ってたら、花に変化してふわぁ~って。あれは予想の斜め上だったね。
月の使者グループのひとりが、月に帰れば、人の汚らわしい感情に心を乱されることがない、って言ってた。つまりあれは仏教で言うところの、天界の住人なのかね。かぐや姫は、地上で味わう人の感情は、汚らわしいものじゃない、って反論してたけどね。
月には地球上の人間より優れた存在がいる、っていう設定は、のちの「∀ガンダム」に受け継がれてるんだよね。ところで来年はターンエー20周年で、新訳劇場版が作られるかもしれないっていう噂があるけど、本当かな。テレビ版も含めて全く観たことないんだけど。
ガンダムはおいといて、俺はそのクライマックスシーンで号泣ですわ。
ただ不思議なのは、頭ではそれほど感動してないんだよね。わりと冷めてる。なのになぜか、涙が止まらない。頭は感動してないのに、心で泣いてるのよ。何だろうねあの感覚。イイハナシダナーとか、かぐや姫可哀そうとか、そういうことは全く頭に浮かばないの。だけど泣いてんの。なんなら嗚咽が漏れそうになるレベルでよ?ヤバくない?
人が死ぬときもさぁ、あんな感じで、もっとちゃんと生きとけばよかった、とか思いながら死んでくのかなぁって、そんなことは思ったりしたよね。だからちゃんと生きていかなきゃ、なんて殊勝なことは考えないんだけど。
でもきっと、俺が死ぬときは「人生無駄にしたなぁ」と思うんだろうな。いや、今の時点ですでに無駄にしてると思ってるな。だからどうしようってことでもないけどね。もうここしばらくずっと、リアリティから遠ざかってる気がするんだよね。だから人生を無駄にしてると感じるんだろうな。
そういう精神状態だから、かぐや姫であんなに泣けたのかな。たぶんそうだ。ちょっとヤベぇな。
そんなわけで、今日はここまで。お疲れ様!
竹取物語(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
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