心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

【たまには時事ネタ】素人が考えるあの話題【会田誠の件】

会田誠著復刻版「ミュータント花子」 Makoto Aida's

どんなに愛を探しても

体を重ねる夜ばかり

 最初に言っておく。この件について、その本質には全く興味がない。

 そもそもこの件の本質あるいは核心が何なのかすら知らない。大学の美術講義に参加した女性が、その講義の中でショックを受けたから、慰謝料払えと大学を訴えた、というところまではニュースで読んだ。

 この件について書かれたブログをいくつか読んだけど、表現の自由とか、お気持ちとか、ゾーニングとか、いろいろ考えててすごいなと思った。自分はそういう面倒なこと考えるの無理。だから適当なことしか言えないけど、少し思ったことを書きたい。

 会田誠の作品は、確かにグロいと思う。好き嫌いがはっきり分かれるだろう。というか、美術業界の人はどうだか知らないが、あれが好きだと言ってしまうと、一般人は周りから白い目で見られそうだ。私も美術に疎い一般人なので、一連の作品からは、グロいな、ショッキングだな、センセーショナルだな、という印象以外のものは受け取れない。わかる人にはわかるんだろう。何がわかるのかわからないが。

 そして、大学を訴えた女性の言い分もちょっとわからない。講義の内容が気に入らない、思ってたんと違うから返金してくれ、というレベルならまだわからなくもないが、慰謝料333万円てどういうこと?精神的苦痛と、大学の対応への不満で、333万円もふんだくれるもんなの?ああいう類の訴訟では、そのくらいの相場なのかな。慰謝料って、弁護士が相場を見て決めるんでしょう?原告の人が欲しいだけ言えるもんなの?

 美術とか、芸術、アートの世界はよく知らないから、よく知らないまま言うけど、ようするに美術オタとその関連ビジネスってことなんだよね?素人を寄せ付けない世界があって、その筋の権威がいて、巨額の金が動く、っていうイメージ。

 表現の自由とか、問題提起とか、挑戦とか、かっこいいこと言っても、所詮はお金を持て余した神々の遊びなんでしょう?

 作品を作る人、アーティストはいいんだよ。何かを表現したり、作品を生み出すことは、それ自体が楽しいことだし、本人にとってもきっと意味のあることだからね。だけど、そこにお金を出す人の感覚がわからない。もちろん、自分が貧乏人だからっていうのもあるとは思う。

 そりゃ私だって、たまには美術館に行って、作品を鑑賞することもある。だけどそれはあくまで娯楽の一環であって、映画を観に行くとか、漫画を読むのと変わらない。美術館に展示してあるものを観て「ほぁ~、綺麗だな」とか「うおぅ、激しいな」とか、何かしら感じるものはある。

 かといって、そういう作品に絡んで、度を越した額のお金が動くなると「アホくさ」と思ってしまう。特に、自分が見ても何も意味がわからない、感動も衝撃も感じない抽象画に何千万とか何十億とかいうお金が動くという話を聞くと、「正気かな」と思う。

 例えば、自分が何らかの作品を作って、それが高額で取引されたらそれは嬉しい。自分が骨身を削って生み出したような作品なら、なおさらだ。だけど、それはそれ、これはこれ。法外な額のお金が動くことに関しては、たとえ自分の作品であってもやっぱり「アホくさ」と思うはずだ。

 作る側は、作る楽しさとか苦しみとか喜びとか、いろんなものを味わえる。でも買う側にそれはない。単なる投機目的ならいざ知らず、いくら作品が気に入ったからって、アホみたいに高い金額で購入するのは意味がわからない。

 作品を見て感動したり、衝撃を受けたり、人生が変わった、とかいうこともあるかもしれないけど、別に高い金払って買う必要なくね?と思う。見た瞬間に何かを受け取ってるわけでしょう?所有する意味ある?出したお金の分だけ感動が高まる、ってわけでもなかろうに。

 権威とお金が絡みあう、腐敗臭漂う世界で、文化だの、表現だの、自由だのと、なんだか高尚っぽいことが語られる。

 やっぱりアートの世界はわけがわからん。

 ということで、本日はこれにてお粗末。

ミュータント

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孤独な惑星―会田誠作品集

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現代アートの本当の学び方 (Next Creator Book)

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