心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

近眼乱視の眼鏡しながら、老眼というのはなぜなのだろう?

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金襴緞子帯締めながら

花嫁御料はなぜ泣くのだろう

 

 ど近眼に加えて乱視の私は、小学生の頃から眼鏡が身体の一部です。

 思い出せば、小学2年生までは視力が2.0ありました。それが、マンガを読み始めて3年で0.7に、5年生で眼鏡を作って、あれよあれよと中学を出る頃には0.1以下になりました。

 そんな私もあと数年で50歳。これだけ近眼なら老眼になるのも遅いだろうと思っていましたが、最近とうとう老眼の気が出てまいりました。

 小さいものをよく見ようと顔を近づけると、ピントがボケて思わず「うっ」と顔を離す、ということがよくあります。

 子どもの頃、テレビでよく「遠近両用、HOYAバリラックスツー」みたいなコマーシャルを見て、なんで眼鏡に遠近両用なんて必要なのかと思っていました。視力が弱いとなると、近眼か老眼かどっちかなのに、近眼でも老眼でもあるなんてことがあり得るのか?という疑問でした。

 大人になり、近眼かつ老眼、つまり近いところも遠いところも見えにくくなるという、滅茶苦茶不便そうな状態があり得るのだと知りましたが、まだ当分先のことだろう、あるいはこれだけ近眼が酷いと、一生老眼にはならない可能性もあるんじゃないかと思っていました。

 それが、小さなものを見ようとするとき、思わず眼鏡を外している自分に気づき、はっとします。これがそうなのかと。

 しかし今のところ、新聞の文字くらいは普通に手元の距離で読めるので、眼鏡は近眼乱視のままです。いつか遠近両用でないと不便を感じるようになるのでしょうか。だとしたら、それはそう遠くない未来のことではないかと思います。そうなったらもう、身体の一部ではなく、眼鏡が本体ということになるのかもしれません。

 では本日も、お粗末様でした。

 

花嫁人形

花嫁人形