心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

「弱者の代弁者」に感じる胡散臭さ

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 最近ホッテントリで読んだこの記事について。

「ゲイがいてもいいけど、好かれたらキモい」発言にキレた話(小野 美由紀) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

なぜそこで怒りが湧いたのか、それが大事なとこじゃないの。LGBTどうこうは関係なしで。

2018/07/12 16:41

  この話にモヤッとしたものを感じたので、つらつら考えたことを書いてみます。

 この記事に書かれている出来事の真偽や、LGBT、マイノリティーがどうのこうのという話は、私の関心外です。

 記事を書かれた小野さんという人は、自身の怒りがどのようにして湧いてきたものか、どのような性質のものか、記事中で整理しきれていないという印象を持ちましたが、モヤモヤの主因はきっとそこらへんにあるんでしょう。

 彼女が初老の男性の”問題発言”に怒りを覚えた理由として、その場にLGBTの友人がいたこと、また社会に7%存在するという説を根拠に、会場にはLGBTの人たちが5,6人いたはずであることを挙げています。

 男性の発言によって、そのLGBTの人たちが傷ついたはずだ、ということでしょう。いわゆる”義憤”というやつでしょうか。なぜ差別や偏見はなくならないのか?なぜ少数派は多数派から叩かれるのか?そういったことに対する怒りが文章の端々に見えます。

 怒りというのは個人的なもので、同じことを言われても怒る人と怒らない人がいます。しかし彼女は、自分の個人的な怒りを、LGBTやその他マイノリティーに対する差別と偏見、という社会的な問題、すなわち”大義”にすり替えているように見えます。

 男性の発言で傷ついたLGBTの人がいるかもしれないし、いないかもしれない。それは本人にしかわからないことです。アンケートでも取れば別かもしれませんが。それでも、全てのLGBTが傷つくということはないでしょう。いや、たとえ全てのLGBTが男性の発言で傷ついたとしても、彼女に何の関係があるんでしょうか。

 あたかも、彼女がすべてのLGBTの怒りを代弁しているかのような言説に、正直、胡散臭いものを禁じ得ません。彼女自身が、男性の発言で傷ついたのなら、LGBTやマイノリティーを引き合いにだすまでもなく「私が傷ついたので腹が立ちました」と言えば済む話です。

 それを、ことさらに大きな問題に見せかけようとする思考はどこからくるのか。本来「私」と言えば済むものを「LGBT」「マイノリティー」といった大きな主語にすり替える必要がどこにあるのでしょうか。

 彼女は、学生時代に食堂で一人で食事をとること、それを多数派から見られることに、恥ずかしさと怒りを感じたと書いています。食堂にほかの「ぼっち」がいたとしても、大多数に混じることのできない惨めさは消えない、とも書いています。

 このことから「少数派になりたくないという恐怖」「ひとりぼっちで孤立する恐怖」が、彼女の怒りの根底にあることが見て取れます。彼女は、LGBTやマイノリティーと同属であることを自認しつつ、その精神構造は多数派のそれと同じです。いや、何らかの集団に属するという意識自体が、その集団の規模に関わらず、多数派の意識なのです。

 彼女の中にある「ひとりぼっちの恐怖」は、彼女と似たような境遇にある(と彼女が思っている)LGBTや社会的マイノリティーといった「集団との一体化」によって覆い隠されているのでしょう。本人がLGBTかどうか、社会的マイノリティーかどうかに関係なく、一定の数がいると認められる集団、仲間への帰属意識には、孤独を忘れさせる効果があります。

 彼女は自分自身が一体化したLGBTが、男性の発言によって傷つけられたと感じた。それは彼女自身が傷つけられたのと同じ意味を持つので、怒りという反応が起きた、ということです。

 差別や偏見がなくならないのは、多数派意識、すなわち「集団との一体化」あるいは「社会への帰属意識」が、人の心の基底にあるからです。人が、社会への帰属意識を捨て、集団に依って立つのではなく、一個人として立つことができれば、差別や偏見は問題でなくなるでしょう。

 というわけで、差別や偏見を助長するのは集団との一体化なのですが、彼女の怒りの根拠は集団との一体化であり、彼女が集団の代弁者を自認していることなのです。彼女が問題にしている差別や偏見との戦いは、彼女自身との果てしない戦いに他なりません。なんという自己撞着。「弱者を代弁する者」につきまとう胡散臭さは、この矛盾にあるのでしょう。

 必要なのは「そうっとしておく勇気」ではなく、「ひとり立つ勇気」ではないでしょうか。差別と偏見の苗床である社会そのものに「そうっとしておく勇気」を期待すること自体が、その社会への依存を深め、差別と偏見を助長することに繋がるのです。

 おそらく、彼女のように差別と偏見を相手にしているつもりで、自分自身との戦いに明け暮れている人は大勢いるのでしょう。社会問題を相手に戦うということは、自分を相手に戦うのと同じことです。

 社会ではなく、自分自身に依って立つことが、あらゆる社会問題を解決するでしょう。人は、何万年も群れの中で暮らしてきた、原始の意識を卒業しなければならないと思います。

 こちらからは以上です。

 

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