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死刑!あるいはにゃおんのきょうふ

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マタにダイコン おしりにゃゴボウ
ナスビのつやは無敵なのだ

 

オウム事件死刑執行、その正当性と今後の課題を考える(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース

死刑に正当性など必要ない。死刑囚をサンプルとして研究したところで、今後に活かせるとも思えない。オウムみたいな話は、形は違えど何世紀も前から繰り返されてきたことだ。人は何も学ばない。

2018/07/08 18:58

 

 この件に関して、いろいろと思うところがあるので書いてみたいと思う。

 上の記事で書かれていることには、概ね失望している。いや、失望というよりは、諦めに近い。オウム真理教事件に、当事者として関わってきたジャーナリストが書いたものとしては、物足りなさを感じた。

 私個人は、死刑制度に賛成も反対もしない。そもそも、賛成とか反対とかいう幼稚なレベルで語れる問題ではないと思っている。

 死刑制度は、殺人を違法とする法体系において、あきらかに矛盾をはらんでいる。人を殺すことを非とする法が、人を殺すことで成立する刑を是とするのは、矛盾以外の何物でもないだろう。

 上の記事に「死刑執行の正当性」という言葉がある。死刑とは法に基づく殺人である。重罪人は人間ではないというのなら話は別だが、法によればどんな重罪人にも人権はあるとされている。ならば死刑は殺人と同義である。

 つまり死刑執行の正当性とは、殺人の正当性に等しい。殺人に正当性はあるだろうか。正当性があるのなら、正当な理由があれば人を殺してもいいことになる。人を殺してもいい正当な理由とは何だろう。

 それは怨恨・憎悪に他ならない。悪事を働いた人間は、被害者から恨まれ、憎まれる。大勢の人間を無差別に殺した極悪人ならなおさらである。社会的にも大きな不安をもたらし、その不安を和らげるために膨大なコストがかかる。遺族から恨まれ、社会から憎まれる。その結果として死刑が選択される、つまり殺されるのだ。

 大切な人を殺されたら、誰だって加害者を恨み、憎むだろう。だから殺したくなるのも無理はない。死刑とは仇討の延長である。怨恨・憎悪に基づいた刑罰だ。それ以上でも以下でもない。それ以外に、人を殺すに足る正当な理由があるだろうか。

 死刑制度を支持する人は、正当な理由があれば人を殺してもいいという考えに基づいて支持しているのだろう。その考えに従えば、おそらく人を殺さないことについても、正当な理由が必要なのではないだろうか。人を殺してはいけない正当な理由とは何だろう。彼らはその理由を知っているだろうか。

 また、記事にはこんな記述もある。

 

 オウム事件の最大の教訓は、人の心は案外脆い、ということだ。どんな人であっても、タイミングや条件が合ってしまうと、思いの外簡単にカルトに引き込まれてしまう。

 だからこそ、その心の支配の仕組みはもっと研究されるべきだし、カルトの怖さやその手口を若い人たちに教えていく必要がある。

 おそらく真面目に本気で書いているのだろうが、これは私がこの記事の中で最も残念に思ったところだ。オウム真理教がやっていたことは、人の心の弱さに付け入り、組織に縛り付け、搾取し、反目する者は抹殺する、それだけだ。これは人が組織を作ろうとするとき、必ず起こる現象だ。「社会」がこのようなプロセスを経て成立することは、小さな会社から国家に至るまで、どのレベルでも見ることができる。

 オウム真理教という集団は、たまたま賊軍になって処刑されただけで、彼らがやっていたことは、日本がかつてやっていたこと、世界中で人間がやってきたこと、あるいは現にやっていることと、何も変わらない。

 心の支配の仕組みが研究され、科学的手法で再現可能になった時、真っ先にそれを利用したいのは政府ではないだろうか。科学的手法とまではいかなくとも、感覚的にその手法を理解していて、すでに利用している組織もあるだろう。

 そもそも、人心を支配する方法を、麻原彰晃や教団幹部らが独自に開発したわけではない。彼らは単に、自分が見てきた社会を模倣しただけだ。彼らがやっていたことに、何ら斬新なものは見当たらないからだ。当時、斬新に見えるものはあったかもしれないが、それも単に時代に合った材料を使ったというだけで、レシピは同じである。

 カルトの怖さやその手口を若い人たちに教えても無駄だろう。それを知ってもハマる人はハマる。自らの意思で。カルトへの需要を生み出すのは社会だ。そしてカルトは濃縮された社会のミニチュアにすぎない。社会とは異なる色を装っただけの、小さな社会だ。くだらない社会に辟易した若者は、もっとくだらないカルトにハマる。

 カルトだけではない、他にも様々な形態で似たような問題は起きている。ブラック企業で、ボランティア団体で、PTAの役員会で。人が組織を作れば、そこで必ず問題が起き、どれも似たような現象が見られる。その根本にあるものは何だろうか。

 それこそが、本当に目を向けなければならない問題で、死刑制度に賛成の反対だとか、カルトに気をつけろとかは、全く枝葉の話でしかない。

 しかしながら、この社会というものは枝葉に拘って根本に目を向けないことで成立しているので、結局いつまで経っても解決しないのだろう。この社会ある限り、問題は解決しない。解決してはならない。解決のための努力こそが社会を維持しているのであって、本当に解決してしまっては社会そのものが成立しなくなってしまう。

 かくして人は、悲惨と憎悪と虚無からなるこの社会に生き続ける囚人となる。

 逆らえば、死刑!