僕の左側で歩いた君の眩しい笑顔が頭から離れない
今日はこれといって日常系のネタもないので、ショートショートでも書いてみようと思います。
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ある雨の朝、職場へ向かうため車を出したら、道路の左寄りに大きなミミズが這っていた。車からの距離はおよそ2メートル。その距離からでもかなり大きなミミズだということがわかった。おそらく20cmはあるだろう。
このまま進めば左のタイヤでミミズを潰してしまうだろう。気がつかなければどうということもないのだが、気づいてしまった。わかっていて踏みつぶすというのは、あまり気分がよくない。一寸の虫にもなんとやらだ。
私はやや右へハンドルを切り、ギリギリのところでミミズを踏まずに通過しようとした。しかし、左のほうに気を取られすぎて、右の生け垣から飛び出した枝に気がつかなかった。キューッと嫌な音を出して、右側のドアを枝が擦っていく。あっと思ったときにはもう遅かった。
会社の駐車場でドアの傷を見ると、20cmほどの細い引っ掻き傷がついていた。塗装を頼んだらいくらかかるだろうかと考えながら、その日の仕事を終えた。
家に帰り、ドアの傷のことはすっかり忘れて、夕食をとり、風呂に入って、テレビを観てから床に就いた。うつらうつらし始めた頃に、どこからか小さな声が聞こえてきた。
「すみません……すみません……」
その微かな声は、顔の左側から聞こえてきた。声の主はすぐ傍にいるようだった。近くでなければ聞こえないほどの、小さな小さな声だ。顔だけを左に向けて、重いまぶたを開けると、布団の端に小さな人が座っている。驚いて目を見開いたが、声は出ず、体を動かすこともできない。
何もできないので、そこにいる小さな人をよく見ると、頭の禿げあがった中年の男のようだった。小豆色の羽織を着て、私に向かってそのつるつるの頭を下げている。
(なんだ……こいつは)
「わたくしは、今朝がたあなたが車を避けてくださったミミズでございます」
声を出してもいないのに、その男は私の考えがわかるように答えを返した。今朝のミミズだと?
「はい、あなたが避けてくださったおかげで、無事に道を渡り、畑の土に入ることができました。ですが、その代わりにあなたの車に傷がついてしまったようで、本当にすみませんでした……」
(わざわざそんなことを言いに、こんな夜中に化けて出たのか)
「はい、命を助けていただいたというのに、あなたの大事なお車に傷をつけさせてしまったことが申し訳なくて……」
(そこまで大事にしてるわけじゃないけど……)
「いえいえ、そんなことをおっしゃって、私に気を使わなくともよろしゅうございます」
(いや……べつにそういうことじゃ……)
「あの傷は、ちょうどわたくしと同じ長さでございましたね」
(そうなの?)
「はい。わたくしを助けるために、わたくしと同じ長さの傷が車についてしまうとは、なんと奇遇なことでしょう」
(ああ……そうなんだ)
「では、これにて……」
(えっ?ちょ……終わり?)
「はい?」
(え、なんかさ、お詫びに車の傷を治しておきましょうとか、そういう話じゃないの?)
「ミミズのわたくしにそんな力はございません」
(いや、まぁそうだろうけど、わざわざ人の姿に化けて出てくるからさぁ)
「ひとえにお詫びを申し上げたいとの一心でございます」
(そうなの……)
「では失礼をば……」
(……うん)
ミミズの化けた男は、小豆色の羽織をひょいと頭の上にかぶると、するりとミミズの姿に戻って、ずるずると去っていった。その姿が見えなくなるまで、30分ほど彼の這う姿を見送り続けた。気がつくと、私はいつの間にか眠っていたらしく、外はもう明るかった。
布団の上に体を起こすと、枕の左側の畳に、ミミズの這ったあとが残っていた。
なんなんだよ……。
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ということで、今回はこれにて。
ではまた!