心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

思考と言語と感情と、あと肉体

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 「潮風が騒げば やがて雨の合図」ごくまです。

 時おり思い出したように、少しばかり心を悩ませている問題について、同じ理屈を繰り返しグルグルと考えてしまうことがあります。

 自分としては、その問題をどうにかしたいと思いながらも、緊急性があるわけでもなく、解決の糸口も見いだせないので、なんとも手を付けられずに放置している状態です。

 しかし、そんな状態がもう何年も続いていて、徐々に問題が悪化しているような気がしないでもないので、最近は本当にどうにかしたほうがいいのかもしれないと思うようになりました。

 その問題について、自分の中で理屈が堂々巡りを繰り返していることは、客観的に把握しています。その理屈の行きつく先はいつも同じで、そこまで行くとひとまず答えが出たものとして、理屈の上では納得します。

 でも、気がつくとまた、ほぼ同じ内容の理屈を頭の中で展開して、また同じ答えに辿り着くのです。つまり、本当はその答えに納得していないし、問題が解決したわけでもないのです。

 そこで、理屈をこねている心をよく観察してみると、その理屈の奥に、何らかの感情がわだかまっているのがわかります。理屈の上では筋が通っていて、納得できる答えが出ていたとしても、感情のレベルでは何も納得できていないのです。だから同じことを何度も繰り返して考えてしまう。

 問題の根底にあるのはその感情なのですが、それが一体何なのかがわからない。たぶん、理屈でその感情を分析することはできるでしょう。ただ、感情が訴えることを言語化し、言葉で解釈し、形にすることができたとしても、それは感情を理解したことにはなりません。単に感情を言語化するだけでは、感情そのものは解決できないのです。

 だから、感情を言語化することなく、感情のままで理解しなければならない。

 そのためには、つまるところ瞑想が……意識の奥底を静かに観察する時間が必要なのですが、私はそれをしたくないのでしょう。たぶん、そこにあるものを見るのが怖い。こう書いている間にも、私の心の中に、その感情を見たくないという抵抗が生じているのがわかります。

 それに光を当ててしまうと、私が問題だと思っていることよりも、もっと根深く、大きな問題が背後にあることがわかってしまうかもしれない。そういう予感がします。だから見たくないのだと思います。

 それでも……ここまで来てしまったのなら、いずれ見ざるを得なくなるのでしょう。そういう時期に来ているのでしょう。仕方ない。真面目に瞑想するとしますか。

 で、その問題というのは……つまり、セックスレスのことなんですけどね。

 はぁ~……もう、すべてあきらめて楽になりたい。

夏をあきらめて

夏をあきらめて

 
夏をあきらめて

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夏をあきらめて

夏をあきらめて