心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

東日本大震災のとき

 あの時、私は会社で仕事をしていました。

 作業台の上に置いたものを、上から見下ろす格好で作業をしていました。ふいに、視界がゆらりと微かに揺れ、三半規管がバランスの異常を検知しました。

 おっと、これは眩暈が起きたのか?最近仕事が忙しかったし、あまり休みも取れてないから、疲れが溜まったのかな……などと最初は思いました。

 視線を上げても、やはりまだ体がふらついているような感覚が続いています。眩暈にしてはおかしい。気のせいではなく、本当に部屋が揺れている。

 そのあとすぐに、壁に並んで掛けられた作業道具が、カチャカチャと音を立て始めました。窓にかかったブラインドがゆっくりと左右に揺れています。

 これは眩暈じゃなくて地震だ。しかもこれだけ大きな横揺れは、相当な規模の地震だ。途端に、阪神淡路大震災の時の記憶が蘇りました。

 休憩室のテレビをつけると、やはり地震の速報が流れていました。ヘルメットをかぶったアナウンサーが、緊張した表情で地震の情報を伝えていました。

 その後、次々にネットに上げられた震災の映像。津波が街を押し流し、空港は水浸しになり、車が流され、命からがら逃げる人々。

 阪神淡路大震災の時は、炎に包まれる街の映像を見て言葉を失いました。

 今度は水か……。

 呆然としながら、そう思ったのを覚えています。

 なんという人の無力さであることか。

 いかに文明が発達しようと、自然の前には為す術もなく、一瞬にして生活が奪われる。

 私が住む地域は、ほとんど揺れもなく、もちろん津波にも襲われませんでしたが、その時勤めていた会社は、地震とは関係のない理由ですでに倒産し、今はしがない派遣社員として日銭を稼ぐ毎日。

 諸行無常

 貧乏でも、それなりに普通の暮らしが送れる毎日を、当たり前と思わず、感謝しながら生きていきたいものです。

 たとえ地震がなくても、数か月後にこの暮らしが維持できているかどうかわからない状況なんですけどね。

 いやしかし、収入が安定していようが、大金をため込んでいようが、先のことはわかりません。未来の不確定さと、いつか必ず訪れる死の前では、誰しもが平等です。金のあるなしも、地位のあるなしも、美醜も才能も何も関係ありません。それが人生です。

 だけど……金は欲しいし女も欲しい~、そしても少し毛も欲しい~(玉川カルテットの節で)

 そーゆーこと!