どうも、ごくま社です。
息子氏が、学校の図書館で絵本を借りてきました。
『11ぴきのねこ』(著・馬場のぼる 発行・こぐま社)です。
息子氏と一緒に読んでいた嫁さんが
「この、”ねんねこさっしゃれのうた”ってどんなのか知ってる?」
と言うので
「ねんねこさっしゃりま~せ~、ってやつでしょ」
頭だけ歌って聞かせました。そこしか知りません。
嫁さんが
「この本、すごい昔からあるよね」
と言いますが、私は全く知りませんでした。
「えっ!?知らない?」
そう言われても、知らぬものは知らんよ。
奥付を見ると、第1刷が1967年で、図書館で借りてきた本が第185刷になっています。確かに昔からある本だね。絵本の名作はロングセラーが多い。名作だからロングセラーになるのか。
1967年というと、51年前。私が生まれるより前だ。ちょうど、姉が生まれた年だな。そんな話をしていると、ふと思いました。こういう古い本や漫画、アニメなどで、何年の作品だとかいう話になると、なんで自分や身近な人の生まれた年を重ねて考えるのかな、とね。100年単位で古いものになるとそうはならないのだけど、数十年くらいのものだと、すぐ結びつけて考えようとするんですよね。
たぶん、単なる数字だけで西暦何年に作られた作品だとか言われても、その古さとか時間の厚みのようなものが、感覚的に捉えられないからなんだろうな、と思います。
今年の数字から差し引きすれば、製作から何年経っているということは数字ではわかるのだけど、数字だけではどのくらいの時間なのかが、実感として把握しづらい。だから、自分や身近な人が生きてきた時間と重ねてみることで、具体的にその時間経過の厚みというものが想像しやすいと思うんです。え、私だけですか?
そもそも、姉ちゃんがもう51歳になるってそのことが改めて衝撃ですよ。そら自分もおっさんになるわけですわ。
そんなことを思いつつ『11ぴきのねこ』を、息子氏が寝た後に読んでみました。何年か前に私が本屋で見つけて買った『ノラネコぐんだん』と似てるなぁ。実際の猫は群れて行動しないものだけど、創作ならばあえて群れさせることができるので、そこが面白さの秘訣なのかもしれませんね。
ではまた!