心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

人間社会そのものが「恥ずべきシステム」である

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 今日のホッテントリ入りしてた松尾さんのこの記事。

https://mainichi.jp/articles/20180128/ddv/010/070/018000cmainichi.jp

 まー、言いたいことはわかります。

 わざわざ優先席なんぞ作らんでも、みんなが必要に応じて席を譲り合える社会になるといいね、という話。

 こうと書いておかなければ、他の座席でも優先して座ってもらうべき人が座りにくい社会を前提としている時点で、私たちの社会は敗北している。

 社会がどうこうというレベルで論じるなら、そもそも社会自体が「恥ずべきシステム」なわけで、電車の優先席云々という話も、倫理的敗者であるところの社会の必然ということになりますわな。

 社会における倫理というか、道徳というか、そんなような概念がなぜ存在するのかというと、もともと社会は悪徳や不純や利己、つまり不道徳な者がデフォルトで幅を利かせる世界だからでしょう。そうした不道徳への反動として道徳が生まれたと考えるのが自然ではないかと思います。

 上の記事は、優先席を設けないと席を譲らないなんて不道徳だけしからん、という話ですが、そもそも人間は不道徳なのがデフォルトで、道徳のほうが後からできたのに、なんで道徳のほうが正しいみたいなことになるんでしょうか。道徳に反する、という言い方がありますが、道徳に反しているのではなく、道徳のほうが人間のデフォルトの状態に反しているのではありませんか。

 人間は、野生動物と一緒に弱肉強食の世界で生きてきた歴史のほうが、文明化してからの歴史よりはるかに長い。いかにして食うか、いかにして生き残るか、いかにして敵から身を守り、敵を倒すか、そういう世界で何万年もやってきたわけです。それがちょっと文明化したからって都会人ぶって、やれ道徳だの倫理だ慈善だのなんだのと言い出すのは、ちゃんちゃらおかしいってことです。

 いわゆる不道徳な行いというのは、人が弱肉強食の世界で生き残るために身に着けてきた知恵です。血肉に染み込んだ習性です。そこへ、上っ面だけの道徳や倫理を押し付けるという、それこそが不道徳というもの。

 悪行は、むきだしの悪行より、善行の皮をかぶって善行のふりをした悪行のほうがはるかに質が悪い。人の社会は、弱肉強食の世界から受け継いだ不道徳の上に成り立つシステムなのに、いつの間にか偽善の皮をかぶせられ、道徳的な社会だと錯覚されるようになりました。

 もともと不道徳な者が、自分は道徳的だと錯覚し、みんなが道徳者のふりをしながら、陰でこそこそ不道徳に勤しむ偽善者となり果てた。その集合体が現在の人間社会の偽らざる姿ではないのでしょうか。

 分かりやすい例で言うと「文春砲」とかね。あれなんかは偽善の極致として笑えるレベルの皮肉ですわな。

 今日はちょっと真面目なことを書いて疲れたのでもう寝ます。

 ではまた!

 

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