数日前に、魔法使い関係の話を書きました。
今日はそこから連想して、少女といえば魔法、少年といえば超能力、という話をしたいと思います。
僕が幼少の頃に観ていた魔法少女もので印象が強い作品といえば「魔法使いサリー」や「魔女っ子メグちゃん」でした。たぶん他にもいろいろあるんですが、再放送で何回も観た覚えがあるのはこの2作品です。
次に超能力少年ものといえば「バビル二世」。他にはあまり思い浮かびませんが、これよりずっと後の時代になると「幻魔大戦」の東丈(あずま じょう)、さらに下って「AKIRA」と、期間は空いているものの、超能力少年の系譜は続いています。最近では、去年アニメ化された超能力少年漫画「モブサイコ100」がありますが、主人公のモブは東丈やバビル二世のスタイルを意識したと思われる学ラン姿です。
しかし調べてみると、幻魔大戦は石ノ森章太郎と平井和正の合作漫画としてバビル二世よりも前に発表されていて、バビル二世より東丈のほうが先輩なんですね。アニメ化はバビル二世がずっと早いので、てっきりバビル二世が先だと思っていました。バビル二世がテレビでやってた頃は、まだ漫画もろくに読めない年齢でしたから、幻魔大戦のことなど知る由もありません。しかし後にアニメ映画となった幻魔大戦をきっかけに、平井和正にハマり、大友克洋にのめり込んだ僕なのでした。
それで、なんで少女は魔法で少年は超能力なのかという話。僕が思うに、魔法は科学と対極にあるメルヘンチックな世界観の元に現れる力であり、超能力はまだ科学では解明されていないけれど、いずれ解明できそうな予感がする魔法よりは科学に近い物理的な力、ということでそのイメージが分かれるのではないかと。
であるがゆえに、女子は魔法に憧れ、男子は超能力に憧れる、というような図式が出来上がったのではないかと考えます。ただし後の時代になるとは魔法少年(ハリーポッター)も超能力少女(エスパー魔美)もメジャーになるので、これはあくまで昭和オヤジの勝手なイメージでしかありませんけど。
昭和オヤジならぬ昭和少年だった頃、バビル二世が僕に刷り込んだ超能力への憧れは強力で、その後の幻魔大戦にのめり込む準備は幼児期から出来上がっていたのでしょう。バビル二世と東丈との共通点、それは学ランです。中学生になったとき、初めて学ランを着た自分を鏡で見た僕は、思わず「超能力!」と心の中で快哉を叫びました。学ランを着ただけで何が「超能力」なのかよくわかりませんが。
幻魔大戦で平井和正の「教義」に触れ、AKIRAで大友克洋の「宇宙」に惹かれた僕は、超能力は単なる力ではなく、究極の「真理」に触れ得る能力なのだという結論に達しました。以来、僕はいまだに超能力に憧れる「超能力中年」になってしまいましたとさ。
おしまい。
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