心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

人工知能ドライバー

 こんなニュースを目にしましたので、人工知能を搭載した完全自動運転車について以前から考えていることをつらつらと書いてみます。

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 人工知能を搭載した車と言えば、思い出すのはこれ。

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 今にして思えば、人工知能を積んでいる割には、ものすごい複雑なコクピットで、まるで飛行機のよう。スイッチやレバーやパネルやゲージが所狭しと詰め込まれた運転席。全自動で動くし、人の話も理解できるのになんで……という感じですが、当時はこれがいかにも最先端に見えたものです。誰でも気軽に扱える代物じゃないという特別感がかっこよさに繋がっているようです。

 しかし、現代では誰でも簡単に扱えることが人工知能普及のカギを握っています。様々な分野での応用が期待される人工知能ですが、その先陣を切っているのが自動運転車。将棋やSiriよりずっと身近で、社会に与える影響も大きいでしょう。この自動運転車が普及したら、車社会はどう変化するか、ということを考えた時に思いついたことがいくつかあります。

 自動運転車とは、わかりやすく言ってしまえば、運転手付きの車、あるいはタクシーを個人で所有しているのと同じようなことになります。運転手が人間か機械かという違いだけです。そう考えると、自分が自動運転車を使うようになった時のことを想像しやすくなります。

 例えば、駐車場。僕が暮らしている田舎のように、日本のほとんどの地域は車がないと本当に不便です。休日、街のショッピングセンターへ買い物に行くと、朝から駐車場がいっぱいです。でも運転手がいれば、目的地まで乗せて行ってくれれば、あとは駐車スペースを自分で探すなり、一旦家に戻るなり、あるいは目的地周辺で適当に時間をつぶしていてもらってもいい。郊外のように駐車場がタダなら車を止めるのに抵抗はありませんが、有料駐車場しかないような都市部へ行くとすると、駐車場のことを心配する必要がないというのは本当に便利です。

 なので、自動運転車が普及すると、まず有料駐車場がどんどん無くなると思います。わざわざお金を払って車を止めておく必要がないからです。帰りは時間と場所を指定して車と待ち合わせすれば駐車場はいりません。

 そうすると、将来的には車を個人で所有する人は現在に比べて激減すると思います。パーソナルスペースとしての車が好きな人は自分専用に一台持っていたいと思うでしょうが、単なる足として動けばいい、という感覚の人はカーシェアリングを利用するでしょう。そういう人はこれからどんどん増えていくと思います。

 なぜなら、車を運転するというのは今現在においても特殊な技能を必要とする事柄であり、ほとんどの人はその技能を十分に習得しないまま、必要に迫られて仕方なく車を運転しているからです。老若男女、誰もかれもが自分で車を運転しなければならないというのは、実は異常な事態なのです。若葉マーク、高齢者マーク、はては身障者マークをつけて、誰も彼もがそれぞれの運転レベルで勝手に車を運転していたなんて信じられない、そりゃ事故が起きて当然だわ、という時代が来るでしょう。

 次にカーレースの世界。今のレーシングカーは多数のセンサーが取り付けられ、そこから得られるデータを解析してより速い走りを追及しています。つまりIT技術・人工知能との相性がいい。センサーから得られるデータを人工知能がリアルタイムに解析して即座に運転に反映すれば、人を介する運転よりも速くなるのは当然です。レースの世界も、人が運転するレースと、人工知能が優劣を競うレースに分かれていくでしょう。

 それで、Google先生に問い合わせてみたところ、業界の人はとっくにそういうことを考えついていたようで、国際自動車連盟FIA)が人工知能に車を運転させるロボレースというプロジェクトを進めているそうです。

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 こうなってくると、車は人が運転するもの、という考えは徐々に廃れていき、車は勝手に動くもの、というのが当たり前になるでしょう。そして、人が車を運転するということが完全に趣味の領域になると思います。今でいう乗馬とかそういうのと同じレベルの話になるんじゃないでしょうか。専用のコースで、好きな人だけが集まって運転技術を磨く世界。もしかすると、カーレースがオリンピックの正式種目になる日がやってくるかもしれません。

 そんな未来の世界が実現するまで自分が生きていられるとは思いませんが、おじいさんになって持病の診察を受けに病院へ行くときは、スマホで呼んだ自動運転車に乗って行きたいなぁと思います。そうすると、病院で待っているのは人工知能を搭載した診断ロボってことになるんでしょうか。