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シンギュラリティ ~技術的特異点への到達と、その先で気になるちょっとしたこと~

 あけましておめでとうございます!

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 さて新年のあいさつも早々に本題です。

 わりと近い未来に、世界はすごいことになりそうだっていう噂です。

 いろんな技術革新が起きてて、技術的特異点の到来ももはやSFや都市伝説のレベルではなくなってきている、ということらしいです。

 もともとSF好きなので、こういう話に興味はあるし、だいたい何を言ってるのか理解できます。

 ただ個人的に気になることがありまして。SFとかコンピュータとかAIとか好きな僕ですが、同時にオカルトとかスピリチュアリズムとか悟りなんかにも興味があって、そういうのは科学とは対極にある世界です。フィクションの世界では仲良く共存してたりしますけどね。

 気になることというのは、科学の爆発的な進化・発展は、人間のいわゆる精神世界をカバーできるのか、という問題です。いや違う、精神世界はたぶんカバーできる。人の心の中で起きる現象は全部再現できると思う。

 僕が言いたいのはですね。いわゆる「悟り」「真理」のようなものを、AIはどう理解するのか、ということです。

 僕自身が悟りを開いたわけではないので、悟りというものは実際どういうものか、それが本当に人の心の中で起こり得ることなのかどうか、実際のところはわかりませんけども、それに類するような「プチ悟り」みたいなものは誰しも経験があるのではないかと思います。

 ずっと悩んでいたことが、ある瞬間にふっと解消する。それまでの思考とは全く論理的につながりのない答えが突然湧いて出る。現実の状況は変わらないのに、それまで問題だったことが全く問題でなくなる。その瞬間に訪れる閃光と恍惚感。

 そこに何が起きているのか。無意識のうちに何かが進行していて、本人も気づかないところで問題解決のプロセスが動いているのか。それをコンピュータは解析して再現できるようになるのか。

 もっと言えば、いわゆる覚者、ブッダやキリストや、マホメットやらなんやら、他にもいろいろいると思いますが、そういう人たちが到達したとされる「究極の悟り」「絶対的な真理」みたいなもの。それらは様々な宗教として間違いなく人間の社会や文化、倫理観に深い影響を及ぼしていますが、宗教として広まる以前の原点、悟りそのものをコンピュータは理解できるのかどうか。

 プチ悟りにしろ、究極の悟りにしろ、その現象は完全に個人的なもので、悟った本人にしか本当のところはわからないんですよね。「おれは悟ったぜ!」と主張する人がいたとしても、本当かどうか他人にはわからない。その人の話がすごく感動的で納得できたりすると「ほぉ~、この人の言うことは真実だ、きっと悟っているに違いない」って周りの人間が思うこともあるだろうけど、それは単なる予想でしかなくて、話を聞いた人がそれだけで悟りを開けるわけじゃないし、実際になにをどう悟ったのか、悟りとは何かっていうのは、本人にしかわからないでしょう。

 悟りというものが知の領域にあるのなら、言語化して敷衍することができると思いますが、ご存知の通りお経や聖書を読んだからって悟りを開けるわけじゃない。悟ったような気分になることはあるかもしれませんけどね。

 悟りというものがそういう性質である以上、例えばコンピュータが悟りを開いてしまったとしても、人がそれを理解することはできないはずなんです。コンピュータが「慈悲」だの「諸行無常」だの「色即是空」だのと言い始めたら、もしかして悟ってんのかなということになりますが、実際のところはどうなのかわからない。

 例えば、人の脳とコンピュータを接続して、いわゆる電脳みたいに意識とコンピュータがシンクロするようになって、そこでコンピュータの悟りを人の意識に伝達できるのかどうか。ある種の薬を服用したときのように、意識が拡張して悟りを開いちゃったみたいになるのかどうか。

 どうなんだろう?って思うんですよ。聞いた話によると、ごく普通の人、特に何か信仰心が篤いわけでも、修行してるわけでもない人が、いきなり悟りを開いたような意識の覚醒を体験することがあるらしいです。そういう場合、その人はその体験があまりにも素晴らしいので、普通の意識状態に戻ったとき、すごい禁断症状みたいなものに悩まされるそうです。それこそ下手すりゃ変な薬に手を出しかねないくらいのね。

 コンピュータが、薬が生み出す感覚のように、たとえ疑似的なものであっても「悟り」や「真理」を再現できるとしたら、それは人間に何をもたらすのかと。何の準備もなしにいきなりそういうものが意識の中で展開されたら、発狂してしまうんじゃないか、とか。

 僕が好きな漫画で「外道の書」っていうのがあって、細かいところ端折って説明すると、なんでも願いが叶う本を集めて、ある少年が「究極の真理」を教えろ、ってその本に願い事をするんです。んで「究極の真理」を見た少年はその場で自殺するっていう展開があるんです。僕はそれ見て「ああ、あり得るかもな」って思いました。

 たぶん「真理」っていうのは、普通の人間にとってもんのすごい恐ろしいものなんですよ。いきなりそれを見せられると精神が崩壊するくらいの。で、真理や悟りを求めて修行している人っていうのは、そういう恐ろしいものに耐えられる精神力を備えるために修行してるんじゃなかなと思うんです。備えたからって悟れるとは限らないのが辛いとこですが。

 いやね、わかりませんよ。本当のところはどうなのか。僕自身が悟ってるわけじゃないし、真理とは何かって知ってるわけでもないですから。ただ、こういうことなんじゃないかな~って思ってるだけで。実際は全く的外れかもしれない。だとしても、どうなのかな~と思うんですよ。

 例えばの話、コンピュータが悟りや真理というものを解析して、それを人の意識に無理なく移植することができたとしたらどうだろう。みんなが仏陀やキリストみたいになってしまったらどうなるんだろう。平和とか平等とか慈悲とか愛とか、そういうものを人間世界に示した覚者が量産されるようになったら。それ以前に、コンピュータがそういう意識を手に入れた時点でどうなるのか。なんかちょっとディックの「ヴァリス」っぽい?違うか。昔一回読んだだけで、どんな内容だったかあんまり覚えてないしな。

 そこまで考えてふと思いついたことが。コンピュータの知能が人間をはるかに超えてどこまでも行ってしまった末に、宇宙を再生産することになったらどうなんだろう。大友克洋の大作「AKIRA」の中で、アキラは宇宙を再現しようとしていましたが、もしかしたら科学技術の究極の発達は宇宙の再生産で幕を閉じることになるのかもしれない。あるいは幕を閉じるんじゃなくて、次々に新しい宇宙を生み出し続けるとか。

 あれ?ということは、今あるこの宇宙、この世界も、かつてどこかで究極まで発達した知性が作り出したものかもしれない。人間が神とか創造主と呼んでいるのは、そういう存在かもしれない。で、そういう存在はもう人類の科学技術とか、その特異点から先の爆発的進化のさらにずっとはるか先にいて、この世界を見ているのかもしれない。

 この先人類の未来がどう展開するかはわかりませんが、僕を始めとして(w)みんなが幸せになれればいいな、と思う正月なのでした。ちゃんちゃん。

 

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