心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

トイレで見てての話

 先日の記事でも少し出てきましたが、子供の頃住んでいた家は小さな借家でした。その借家の大家さんは小さな工場をやっていて、工場の隣にはこれまた小さな従業員用の寄宿舎がありました。しかしこの寄宿舎には、僕が物心ついた頃には一人も住んでいませんでした。オイルショックで工場の経営が傾いたせいでしょう。

 その寄宿舎の一室は、僕ら一家の子供部屋として使わせてもらっていました。借家のほうは父母の寝室であり、寄宿舎の一室は僕ら子供たちの寝室でした。小さい頃は借家で父母と一緒に寝ていましたが、小学校に上がる頃には姉たちと一緒に寄宿舎で寝ていました。

 借家の間取りは2Kで、コンクリート打ちっ放しの台所と、6畳と4畳半と、小さな土間がありました。家族5人、布団を並べて寝られなくもない広さがありましたが、なぜか子供は寄宿舎で寝ることになっていました。大人になった今ならその理由がわかりますが、小さい頃は母がいないと寂しくて寝られないこともありました。

 さてその寄宿舎の横にくっついた形で、従業員用のトイレがありまして、僕らの家族と大家さんの家族が共同で使っていました。借家にも寄宿舎の中にもトイレがなかったので、僕ら家族にとってはこれが唯一のトイレでした。昔ながらの汲み取り式で、女性用兼大きい方のトイレは、便器の底に漆黒の闇がぽっかりと口を開けていました。天井に裸電球がひとつ、壁の高いところに小さな窓がありました。

 そういうトイレなので、夜に子供が一人で入るにはかなりの勇気が必要です。そんな勇気のかけらも持ち合わせていなかった僕は、親か姉について行ってもらわないと夜のトイレに行けませんでした。姉も年上とはいえまだ子供。夜のトイレは当然怖いので、親か僕と一緒でないと入れませんでした。

 しかし、今になって思い出すと変だなと思うのは、姉と一緒にトイレに行くと必ず要求されたのが、ドアを少し開けて、用を足している最中も見ていて欲しいということでした。当時は何の疑問も持たずに、ドアの隙間から丸出しの姉のお尻を横目に見つつ待っていました。ちょっとでもよそ見をしていると「ちゃんと見ててよ!?」という怒りと不安の入り交じった声が飛んできたものです。

 僕もトイレは怖かったですが、ドアを開けて見ていて欲しいとまでは思いませんでした。無防備な状態にある時、誰かに見ていてもらったほうが安心、という気持ちはわからなくもありませんが……姉は別に露出癖があるわけではなく、閉所恐怖症というわけでもありません。たぶん。ただ、トイレに関してはかなりの恐怖心があったようです。

 怖い映画やアニメを観た後のお風呂やトイレ。大人になった今でも少し怖い時があります。恐怖心を無視したり、意識的に気を逸らしたりできなかった子供時代は、最も身近なビビりスポットでした。我が家の息子も、そのうち怖がるようになるんだろうな。