心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

人生が変わるというのはどういうことなのか ~並行宇宙がどうとかいう問題でもないか~

 きたきた、来ましたよ。例のお知らせが。

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 月初めからカウントして、桁が上がった時点でお知らせが来るというシステムらしいです。親切な御仁が教えてくれました。そうなると今度は1万PVを突破したところでまたお知らせが来るわけですね。それはないか。そこまで行くにはまだしばらくかかるでしょう。あるいはそこまで行かずに終わるかもしれないし。先のことはわかりませんわな。


自由意志は本当に存在しないのか(何度め) - すべての夢のたび。

 みちあきさんが、僕好みの話題を記事にされていましたので、考えてみたいと思います。これ2回目だな。


自由意思ってなんだぁっけなんだぁっけ、ポン酢しょうゆのあるうちさ~ - ごくまトリックス

 これもう考え出すと脳が干からびる問題なのですけども、そもそも「自由意思」という言葉に込められた意味が人によって違うんですよね。そこが一番の壁だと思います。自由ってなんだろう。昔、武田鉄矢さんが坂本龍馬の役で出てた映画(たぶんこれ>幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬 - Wikipedia)の中で「自由とは自らを由(よし)とすることである」みたいなことを言ってたことを覚えています。僕にとってはすごく腹に落ちる表現だったので、強く印象に残っています。

 自らを由とする。自分を肯定するということだと思うんですが、自由とはまさにそういうことなのではないかと。自分の思い通りに何かができることよりも、自分を肯定すること、その感覚こそが自由であろうと僕は思うわけです。僕が大人になって初めてこの自由というものを実感したとき、思い浮かんだ言葉は「もう何もしなくていい。でも何をしてもいい」というものでした。「何もしなくていい」と「何をしてもいい」という一見矛盾したものが、あるひとつの感覚として自分の中にありました。

 それは自由というものを自分で定義したのではなくて、心の中にある感覚を言葉にしたらそうなった、というものです。言葉ありきではなく、何か実感できるものがあり、それにあてはまる言葉が自然に思い浮かんだという感じです。

 自分の心の中で起きていること、考えていることをつぶさに観察してみるとわかりますが、自分の意思というのは勝手に湧き上がるもので、それこそ自分の意思で生まれるものではないんです。勝手に湧き上がるものを、自分が生み出したんだと勘違いしているだけで、実際のところ「自分の」というのは意思が心のどこかから勝手に生まれてきてから後付けされた概念です。

 幼いころから何でもかんでも「自分の」と関連付けることが習慣になっているので、すべてが「自分の」ものに繋がっていると自動的に考えるようになっているだけですたぶん。

 自分の判断とか、自分の意思とか言いますけど、単なる判断、単なる意思がそこにあるだけというのはいかんのでしょうか。「自分の」にこだわるから自由意志があるのかないのかで揉めることになる。結局、自由意志が否定されることに反発するのは自分が否定されるからに他なりません。

 例えば、あらゆることが物理法則に従って、もっと言えば現在解明されている物理法則をも包含する宇宙の法則に従って動いているのなら、人の意思もその法則に従って動いているだけでしかない、つまり一般的に信じられている意味での自由意志は存在しないことになります。それでも自由意志があるのだと信じることには何の問題もないし、自由意志があろうとなかろうと世界は今あるように存在するでしょう。

 そこで、宇宙の法則で全てが動いているという前提で考えたとき、よくある話で「人生が変わりました」っていうのはあり得るのかという問題なんですよ。人生というのは通常、生まれてから死ぬまでのトータル時間を指しているわけで、人生が変わったというとき、ある出来事をきっかけに、そこから先の人生が変わったという意味だと捉えることができます。

 だけど、変わらなかった人生は、人生が変わった時点で消滅しています。というか最初から存在していません。人生を変えたというある出来事がなければ、自分の人生はもっとつまらなかっただろうとか、逆にもっと豊かだったのにと言ったりしますが、その出来事がなかった人生というのは単なる仮説でしかなくて、実際にはありませんよね。宝くじが当たったらあれもこれも買って、ここやあそこへ遊びに行って、という妄想と何ら変わりません。

 自分の人生というのは、その「ある出来事」を含めての人生なはずですから、それをもって「変わった」と言えるのだろうか?ということです。最初からそれコミの人生だったら、何も変わってないし、法則どおりに人生が動いただけでしょう、ということです。

 そんな考え方つまんねー!という意見もあるかもしれないけど、人生の面白さってそういうことじゃないよね、と思うのです。刺激とか紆余曲折とか、そういうものがあろうとなかろうと人生の面白さには関係ないんじゃないの、ということです。むしろ、そういうところに人生の面白さを求めてると、一生つまらないままだぜ?と言いたい。

 そこで、人生を変えるような出来事に頼らなくて済む要素が「自由」だと思うんです。自らを由とする。自分自身への肯定感。そこに面白い人生の鍵があると思います。

 で、さらにややこしい話になりますが、この自己肯定感というものが生まれるためには、一般的な意味での自由意志を否定しなければならんのです。自分の意思、自分の人生、自分の選択、自分の判断……自らを由とする自由は、自分からの自由なんですな。全くもって逆説的な話ですが、僕の実感からすると、そういうもんなんだとしか言いようがないんですね。

 ぶっちゃけ、人生というものをどう捉えるかなんて、人それぞれの勝手ですから。今ある実感をもとに、そういうもんだとしか言いようがないってことですね。身も蓋もない結論で終わっちゃいましたけど、そういうもんなんですよ。