むかしむかし、あるところに浦島タロとジロという兄弟が生きていました。
タロは山へ柴刈りに、ジロは海へ洗濯に行きました。
ジロが海で洗濯をするので、二人の服はいつもしっとりしていました。
あるとき、ジロがいつものように海で洗濯をしていると、大きな亀が砂浜に這い上がってきました。
「うまそう」
ジロは素直にそう思いました。洗濯の手を止め、家から一振りの斧を持ってきました。今日は亀鍋だ。兄者と二人でたらふく食うぞ。斧を振り上げたとき、後ろから大きな声がしました。
「まて!亀を殺してはならん」
振り返ると、柴を背負ったタロが息を切らしながら立っています。
「亀は竜王様の使いじゃ。殺せばバチが当たるぞ。わたしたちが魚を食べられるのは、竜王様の恵みがあってのこと。その遣いを殺してしまえば、魚は獲れなくなる」
そうなんだ。ジロは斧を下ろすと、亀に謝りました。亀は頭を下げてゆっくりと海へ戻っていきました。
それから何日かたって、タロが釣りに出かけました。釣り糸を垂れていると、魚は釣れるのですが、釣れる魚がみなおかしな形をしています。目玉がおおきく飛び出していたり、しっぽが曲がっていたり、頭がふたつ生えていたり。それでも食べられればいいと、家に持ち帰って食べようとしましたが、いやな臭いがしてとても食べられません。
タロは、数日前にジロがお腹の具合が悪いと言って、晩飯を食べなかったことを思い出しました。そこで裏の畑の隅を掘り返してみると、亀の甲羅が埋めてありました。ジロを問い詰めると、亀を海に逃がした次の日、また同じ場所に亀がいたので、どうしても食べたくなって、殺して食べてしまったというのです。
タロはジロをきつく叱りつけました。幼い頃から物覚えの悪いジロは、その時だけしおらしい顔になりますが、すぐに忘れて平気な顔をしています。タロはそんなジロを見ながら、とても不安な気持ちになりました。魚がおかしくなるだけでなく、何かもっと悪いことが起こるような気がしたのです。
そんなある晩、タロが夜中に物音で目を覚ますと、ジロが布団からむくりと起き上がって、外へ出て行こうとしているところでした。タロは声をかけようとしましたが、ふと思いとどまり、ジロがどこへ行こうとしているのか、後をつけていくことにしました。
ジロは暗い海辺の道を歩いて、砂浜へ下りていきます。砂浜には、ぼんやりと光るような、白い着物を来た女の人が立っていました。タロはこっそりつけてきたことも忘れて、ジロの後を追いかけました。
ジロの隣まで追いついて、その顔を見てみると、なにやらぼーっとしているようです。ほんの数歩前に、あの白い着物の女の人が、冷たい目でこちらを見ています。
「あの……あなたは」
「タロ。あなたの弟は亀を殺しましたね。竜王様の使いの亀を」
「あ……はい、しかし」
「しかしもヘチマもありません。ジロは竜宮城に連れていき、裁判にかけます」
「さ、裁判?待ってください、ジロはそんな難しいことはわかりません」
「たとえわからなくても、裁きは受けなければなりません」
「それならば、わたしもついていきます。竜宮城へ連れて行ってください」
「しかたありませんね。あなたは一度亀を逃がしてくれたので、裁かれることはないでしょうが……」
そう言うと、女の人は足元の海水を手ですくい、タロとジロの顔にかけました。
「あっ、なにを……」
タロが顔を拭って目を開けると、そこは大きな門の前でした。
「なんと、こ、これは……」
「竜王様が住む竜宮城です。ついてきなさい」
門には赤い大きな扉がついており、女の人が手を揚げると、その大きな扉がゆっくりと開きます。タロとジロは、女の人の後について、竜宮城に入っていきました。
広い屋敷の中、長い廊下を歩き、いくつもの扉を抜けていくと、やがて大きな広間に出ました。そこには大勢の人が椅子に座り、広間の両側にずらりと並んでいます。広間の入り口の正面、一番奥の壇上には、大きな体をした、ひげの男が座っていました。きらきら光る眼をこちらに向けて、ジロの顔を睨みつけているようでした。その頃にはジロも正気を取り戻したのか、周りを見回しながら震えています。
「あ、兄者……ここはどこだ?」
「竜宮城らしい。お前が亀を殺したので、裁きを受けに来たのだ」
「さばき?叩かれるのか?ごめん、兄者、ごめんよぉ」
うろたえて泣き出すジロをなだめながら、タロは女の人について広間の奥へ進みました。
「おまえがジロか」
正面に座った大きなひげの男が、体と同じように大きな声で聞きました。
「は……はい」
ジロは消え入りそうな声で答えます。
「おまえは兄のタロだな」
「はい。この度は弟が竜王様の使いの亀を殺してしまって、ほんとうにすみませんでした」
「おまえが謝っても仕方がないのだ。わしの使いの亀を殺して食うなど、言語道断。死んで償ってもらう」
どうやらこのひげの男の人が竜王様のようです。
「死……待ってください、弟は生まれつき頭が弱く、ものごとの道理がよくわかっていないのです。私がきつく言ってきかせますので、どうか死刑だけはご勘弁ください」
「それだけで済む話ではない。亀は死んでしまった。戻っては来ないのだ。わしが幼い頃から世話を焼いてくれた、大切な亀をな。お前は家族を殺されて簡単に許せると思うのか」
「いえ、それは……竜王様のお怒りは無理もございません。しかし弟は私のたった一人の家族です。弟の罪は兄として私が償います」
「ではおまえが弟の代わりに死ぬというのか」
「父上様」
それまで黙っていた白い着物の女の人が、竜王に声をかけました。彼女は竜王の娘、つまり乙姫様のようです。
「もとはと言えば、わたくしが陸にかんざしを落としてしまったのがいけないのです。亀はそれを探しに陸に上がって……」
「いくらお前が惚れた男の弟だとて、罪を免れることはできぬ」
「ち、父上様それは……」
乙姫様の白い顔がみるみる紅く染まっていきます。
「ではこうしよう。ジロにはここで亀になって暮らしてもらう。お前は陸に帰るがよい」
「ここで……亀に?」
「そうだ。亀がいなくなったのだから、その代わりに亀になってもらう」
「そ、そんな……」
「では命をもらうか」
「……いえ、わかりました。しかし、私は帰りません。ジロと一緒にここで暮らします」
「なんだと?ここは陸とは時の流れが違うのだぞ。早く帰らねばお前は……」
「構いません。どうせ陸に戻ってもひとりきり。ここで弟の世話をします」
「そうか。ならば好きにするがよい。乙姫よ、それでよいな」
「え……はい」
こうして、タロは亀になったジロと一緒に竜宮城で暮らすことになりました。
じつは、乙姫様は以前お忍びで陸に遊びに行ったとき、たまたま見かけたタロに一目ぼれしていたのです。そこで何度か亀をお供にタロの姿を見に行き、そこでかんざしを落としてしまいました。亀は、そのかんざしを探しに陸に上がったところを、ジロに見つかって食べられてしまったというわけなのです。
竜宮城で何年も暮らすうち、タロと乙姫様は夫婦になりました。亀になったジロは、他の家臣たちと共に、竜王様の身の回りの世話をしました。そしてさらに何年かが過ぎ、タロと乙姫様の間に元気な男の子が生れました。竜王様は初めての孫にデレデレになり、ジロに接する態度もだんだん柔らかくなっていきました。
そうして、竜宮城の竜王一族は幸せな日々を過ごし、やがてタロと乙姫様の息子は立派な青年に成長しました。乙姫様は変わらず美しく若い女性でしたが、タロはすっかり年を取りました。竜王族と人間では寿命にかなり差があるのです。タロは、いつまでも若い乙姫様や、出会ったころと変わらない竜王様を見るにつけ、自分の老いというものを意識せずにはいられませんでした。
そんな折、竜王様がふとこんなことを言い出しました。
「タロよ、孫もすっかり大きくなった。きっかけは不幸だったが、おまえのおかげで幸せな暮らしができたと思う。そこで、そろそろジロの罪を許し、人間に戻そうと思うのだ」
「本当ですか!竜王様、ありがとうございます」
「だが、ひとつ問題がある。ジロが人間に戻ると、亀だった時の記憶は全て失われる。わしたちと暮らした思い出も全部だ」
「そ……そんな……では、人間に戻ったジロは年老いた私を見てどう思うでしょうか。シワだらけで、髪もすっかり白くなった私が、兄だとわかるでしょうか」
「それは何とも言えぬ。どうする、亀のままここで一生を終わらせるか、人間に戻すか、お前が決めよ」
「それはもちろん、人間に戻してやりたい……しかし……」
「うむ、その悩み、わからぬでもない。しばらく考えてみるがよい」
それから数日、タロは悩みました。そんなタロの姿を見る乙姫様も、心を痛めていました。
「竜王様、決心がつきました。やはりジロは人間に戻してやってください」
「そうか、うむ、わかった」
そして、竜王様はジロを人間に戻しました。
「兄者……おれ今まで何してたんだ?」
「ジロ、わたしが……わかるのか?」
「もちろんだ。なんか爺さんになってるけど、兄者だろ」
「はは……確かに爺さんだ。お前もな」
「そうなのか?」
「お前とわたしは、ここ竜宮で長く暮らしていたのだ」
「そうか……兄者、おれ家に帰りたいよ。亀を食っちまったのは謝るから、家に帰らせてもらおうよ」
「そうか……そうだな」
二人は竜王に頼んで陸に帰ることにしました。乙姫様と息子は悲しみましたが、最後には二人を気持ちよく送り出してくれました。竜宮城に訪れた時と同じように、突然二人は陸に戻りました。あの時と同じ砂浜です。海から日が昇り始めていました。見回すと、辺りの景色も変わっていませんでした。
二人は海辺の道を歩いて、家を探しました。すると、同じ場所に同じように二人の家が残っていました。誰も住んでいる気配はありません。家の中に入ると、布団が敷いてありました。ジロが抜け出したままの布団と、あの晩に食べたきのこ汁も、そのまま鍋に残っていました。
二人はそのきのこ汁を温めなおし、一緒にすすりました。
おわり
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書き出したら止まらなくなったので、つるっと最後まで書いてみました。