心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

状況説明だけでは見えてこない部分もあるよねという話


同居している姑が子供と接触するのが耐えられないので夫と離婚したい - 斗比主閲子の姑日記

 かなりのタイムラグを経て、今ここに思ったことを書きたいと思います。

 この長い記事の中で僕が一番気になったのはこの部分。

私が叱りつけてる横でクスクス笑って見てたりなどはあります。

 これは、姑さんの嫌な面を端的に表してると思います。もし僕がこれをやられたら、子供のこと後回しでブチ切れるだろうなと。子供を叱るときの本気度にもよりますけどね。そんな大したことじゃなくて、ちょっとした小言レベルの叱責なら、横で笑われても気にならないと思うんですが、本気で子供を叱ってる時は自分も真剣ですから、それを横でクスクス笑われたら怒りますよ。

 とはいうものの、この文だけではどういう状況で子供を叱っているのか、どのくらい本気で叱っているのかわかりませんから、この相談者の方がこの点についてどの程度イラッときているのかもわかりませんね。

 相談者の方はいろいろと細かいところまで状況説明をしていますが、なぜ自分が姑さんをそこまで嫌うのか、自分でもわかっていないといいます。周辺状況については細かく説明していますが、肝心の「姑のここが嫌い!」という部分に関しては状況説明ほど言葉を割いていない。

 例えば、言葉遣いだとか、イントネーションだとか、表情、しぐさ、普段の何気ない会話から見えてくる価値観などなど、細かいことを言い出せばきりがないんですが、まさにその細かいことの積み重ねが、取り返しがつかないほどの嫌悪感になってしまうこともあり得ます。

 しかし積み重なって凝り固まった嫌悪感に気づいた時にはもう手遅れなので、本人的にはその嫌悪感しか見えてなくて、どんな要素が積み重なってその嫌悪感が醸成されたのかまでは気づいていない、ということが往々にしてあります。

 おそらく、おそらくですがこの相談者の方も、実は姑さんの嫌いな要素は見えているのだけれど、それが嫌悪感の元になっていることに気づいていないのではないかと推測します。ただ、ここまで来てしまうともう個々の要素を検証することにあまり意味はなくなってしまうので、どこが嫌い、何が気に食わないというレベルを超えて、嫌悪感そのものに向き合うこと、すなわち自分自身の心の底に淀んだものを洗い出す作業が必要でしょうね。

 こういう類の相談事で、状況だけを見てやいのやいの言う人が(発言小町などに)よくいますが、的外れだなぁといつも思います。とはいえ、相談者本人の問題の捉え方も的外れなことが多いので(というか的が外れてるから相談に来る)難しいことではあるんですけどね。

 ということで、思ったことを勝手につらつらと書いてみましたが、あんまり意味ねーなと思う今日この頃でありました。こちらからは以上でーす。