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ごくまトリックス

いらっしゃいませ。アニメ・子育て・雑文と、責任持てない与太話。あくまで個人のたわごとです。

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優しさと女々しさと男らしさと

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 絶賛無料試用中のひかりTVで、子供がディズニーチャンネルのミッキーの番組にハマってしまい、毎日見ているうちに自分もいつしかミッキーの声真似をするようになり、ファルセットっていうか単なる裏声ですけど喉が鍛えられてる気がします。

 子供は子供でこっちがミッキーの声を出しているときは「ねぇミッキー」って呼びかけてくれます。似てない声真似に気を遣ってくれる親孝行なやつです。逆に「ミッキー」って呼びかけられるときは向こうから声真似を要求しているので、急にやられると焦って変な声が出ちゃうネ!ハハッ!

 さて今日の本題「優しさと女々しさと男らしさ」です。僕はよく優しい人だと言われるタイプですが、自分が本当に優しい人間なのかどうかわかりません。自分より優しくない人に比べたら優しいだろうし、自分より優しい人に比べたら優しくないです。当然ですが。

 つまり、優しさって相対的なものなのかなと。あと、同じ人でも優しい時と優しくない時がありますよね。いつ何時でも優しい人ってそうそういるもんじゃないし、人が見ているときだけ優しいのかもしれない。

 僕の父親は戦前生まれの厳しい人で、ある時期までは僕に男らしく育つことを期待してたようですが、途中であきらめたみたいです。その期待にうんざりしたのかどうなのか、ことさらに男らしくふるまうことには抵抗がありました。しかしテレビもマンガも男の子らしいものが好きでした。小さい頃は父親に「戦いごっこ」を仕掛けては組み伏せられていたそうですが、記憶にはありません。

 幼少期の環境が、姉や従姉妹、幼馴染の女の子など、女子ばかりに囲まれたものだったことも、自分の性格形成に影響しているのでしょう。今でも、初対面の人が女性ならほぼ抵抗がありませんが、男性は基本的に苦手です。女性ばかりの中に1人だけという状況でも、わりと違和感なく溶け込めます。たぶん。自分では溶け込めてるつもりです。あまり「男」として警戒されてないんでしょう。

 小学生の頃だったと思いますが、運動会か何かで徒競走をしました。トラックのコーナーで、隣を走っていた子が、おそらくわざと僕の足を引っ掛けてきました。でも体格的には僕のほうが少し大きかった(肥満児)ので、相手のほうが転んでしまいました。

 僕は転んだその子を助けようとして立ち止まりましたが、その子はすぐに立ち上がり、結局僕より早くゴールしました。それを見ていた友達みんなに「足を引っ掛けてきたやつなんかほっといて走ればよかったのに」と言われました。それはそうなんですが、競争心の乏しい僕は、徒競走で勝つことより転んだ人を助けるほうを優先しちゃったんですね。

 その出来事は、いい年のおっさんになってもいまだに覚えているように、僕自身の中に強い印象を残すと同時に、優しさとは何か、優しいことは男らしさや強さの否定なのか、優しいことは女々しいことなのか、という疑問を突き付けられる出来事でもありました。

 その後、思春期を迎え、あやふやながらもアイデンティティーが確立され始めるころ、僕は突然ふっと「別に優しくてもええやん」と開き直りました。それまで僕にとって優しさとは弱さであり女々しさであり、マイナスの要素でしかありませんでした。コンプレックスのようなものでした。

 それが、何があったのか知りませんが急に「これが俺なんだから、このままでいいんだ」と思ったんです。誰かに何か言われたのか、何か本を読んでそう思ったのか、何がきっかけだったのかは覚えていません。

 それ以来、競争や闘争、強さ、男らしさというものを崇める「男世界」の呪縛から解き放たれた気がします。とはいえ、アニメやマンガでは相変わらず「男らしさ全開」の世界に浸っていましたが。自分でもそのギャップはよくわかりません。現実世界では満たされない自分の「男」の部分を、架空の世界で埋めていたのかもしれませんね。

 それから何十年か経ち、いろんな人に出会いましたが、男らしさを崇拝している人ほど、内面は女々しいんだなと思うことが多々あります。「女々しい」っていう言葉も、ある種の人々からするとけしからん言葉になると思うので別の表現にすると「感情に引きずられてグチグチネチネチした様子」とでも言いましょうか。

 本来、男らしさっていうのはもっとマシな、かっこいいものだと思うんですよ。でも、それをことさらに崇め、憑りつかれている人たちからは、その内面のドロドロした闇が滲み出ていて、一皮むけば男らしさとは程遠いものが渦巻いている。

 反対に、女らしさを前面に押し出してる女性には、本当の魅力を感じない。どちらにも何か共通したものがあります。もっと別のところでは、右翼と左翼ってありますよね。あれも極端に右寄りだったり左寄りだったりすると、どっちがどっちか区別がつかなくなります。ていうか根っこは同じ場所にいるんだろうなと思います。

 人間の心、それも個人のじゃなくて、集合意識みたいなものの地図があるとしたら、地球と同じように丸いんでしょうね。だから、誰かと誰かが反目しあってずーっと離れていくと、半分回って同じ場所にたどり着くっていう。なんかそんな気がします。

 それでは今日はこれにて!ちょっと真面目だったね。