心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

存在の耐えられない軽さ

 さっきアクセスカウンター見たらなんと100越えてて、これは僕の長いブログ歴の中でも最高記録でびっくりしています。長いブログ歴といっても、あちこちで書いては止め、書いては止めの繰り返しですけど。はてなブログもまだ半年足らずだし。こりゃぁ昨日の記事でジバニャンジバニャンしつこく書いたせいかと思ったらそうでもなくて、夕方にEテレで放送されてた「くつだる。」で検索してきた人が大勢いたんです。まぁ初めて見た人はだいたい「妖怪ウォッチのパクリじゃねぇか」と思うんでしょうね。詳しくはこちらの記事を参照のこと。

妖怪ウォッチとくつだる。とイマドキ妖怪 - ごくまトリックス

 今日はその話じゃないんです。存在の話です。でも記事タイトルの本は読んだことないんです。すごく有名だからタイトルだけは知ってるパターン。よもちか(id:cka2)さんの記事を読んで思ったことを書きます。こういう話、好きなんですよね。前にも言いましたが。

どういうことかと言うと、私は今27歳なので30年前には存在していなかったんですよ。卵子の状態は、それは私ではないので存在していないと見なします。私が存在するのは受精卵からです。後々私になる受精卵が出来上がるまでは、私はこの世にいなかったんですよ。

「存在する」って怖いです - よもちかブログ

  存在ってほんとに何なんでしょうね。自我の存在という観点からすると、生まれたばかりの頃はまだ存在してなくて、たぶん1~2歳くらいからできてくるんじゃないかと僕は思ってます。肉体レベルの話になると、どっから区切っていいのかわからない。人としての肉体なら受精卵をスタートとするのが妥当なのかもしれない。

 ただ、「存在」って言っちゃうと、もっと遡ってもいいような気もします。それこそ物質レベルで。受精卵と精子より前。細胞とか、その細胞を作ったタンパク質とか、そのタンパク質を含んでいた食べ物、食べ物の元になった植物や動物。

 もっと細かく言うと、タンパク質を構成する原子、炭素、窒素、リン、硫黄とかなんとか。そんなんなると、もう生物以前の問題で、地球が生まれた頃とか、さらには宇宙が生まれた時まで遡れるわけです。いや冗談抜きで、宇宙が生まれたときに出てきたものがなんやかんやで変化して、僕らの体は作られてるんですよ。宇宙が生まれた時から「存在」してることになるわけです。ずーっと元を辿っていけば、当然そういうことになるんです。もうね、この肉体は137億年前かそこらから存在してることになるんですよ。あくまで物質レベル・原子レベルで考えればね。

 そういうレベルで考えると、人としての肉体が終わった後、すなわち死んだ後も物質としては残るわけで、火葬で燃やされようが土葬で腐ろうが、物質としては存在し続ける。この先何億年か何百億年か知りませんが、宇宙が終わるまで存在し続けるはずです。つまり、「存在」っていうのはこれすなわち「宇宙」なんですよ。なんだろうこの飛躍。書いてる自分でも意味がわかりませんよ。

 でね、そんな気が遠くなるっていうかもうそんな次元じゃないくらい長~いあいだ存在し続ける宇宙に対して、僕ら人間の意識は地球年齢でほんの100年足らずしか存在しない。瞬き以下ですよ。CPUの1クロック分くらいですよ。いやわかりませんけど。知らないくせに適当なこと言ってすいません。

 たとえば意識ってやつが、僕個人から失われても、人間が存在する限りあり続けるんだと言ったって、宇宙が持ってる時間からすれば誤差の範囲内ですよ。計測不能なくらいの誤差ですよ。そんだけしか「存在」できない意識ってやつが、宇宙レベルの時間とか空間を認識できるってすごくね?って話です。

 僕から見たら、あるのかないのかわからないくらいのちっこい存在、それこそ原子レベルでちっこい存在の意識が、僕の人生とか人間の歴史とかを認識してるみたいなことですよ。なんなんですかこれ。どういうことなんですか一体。

 いや、でももしかしたら、人が計測したり推測したりしている宇宙の姿って、本当はもっと全然違うものかもしれない。今は科学者のすごい人があれやこれや計算して間違いないと思ってることが、ひょっとしたらこの先全部ひっくりかえるくらいの発見があるかもしれないし、発見されずに勘違いのまま存在し続けるかもしれない。不確定性原理とかなんとか、そういう感じのアレで。だってついこないだまで地球が平面だと思ってたんですよ俺ら。

 てなわけで、ビッグバンなみに話を膨らましてきたわりには、いつもの通りオチがありません。自我の存在についてはこないだ記事に書きましたのでものすごくお暇な方はご参照あれ。

自由意思ってなんだぁっけなんだぁっけ、ポン酢しょうゆのあるうちさ~ - ごくまトリックス

 よもちかさんが言ってる「怖さ」っていうのは、自我喪失の恐怖に近いものがあるんじゃないかと推測します。実際に「在る」ものを感じると、「在るフリ」をしてきたものは希薄にならざるを得ないから。たぶんそういうことじゃないかなーって。

 終い!