心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

文化は衰退しました

平成8年生まれの高校生だけど、文化の衰退が進んでいるような気がする ※追記あり

 これが結構なブクマを集めていて、自分としても心の琴線にひっかかったお話なので、考えてみました。

 元記事の話をざっくりまとめると…

 ・80年代、90年代のエンターテインメント(主にサブカル)は面白かった

 ・それに引き換え今どきのエンタメ界隈ときたら・・・もっと早く生まれたかったよ

 ・ネットが普及してみんな画一的になっちゃったんだよ

 みたいな話です。

 どの時代においても、文化が衰退したと考える人はいるもので、これは一部のお年寄り(&ごく一部の若者?)が「昔はよかった」と言う懐古主義に近いものがあります。というか根は同じでしょうな。しかも「文化」と言いつつサブカル系の範囲しか見ていないようです。じゃあもうサブカルって言ったほうがいいのに。

 しかし、この自称高校生のお若い増田さんを懐古厨と揶揄することは簡単ですが、これは「文化の隆盛と衰退」ということについて、ある種普遍的な内容を含んだ話なのではないかと個人的には感じました。

 そのように感じた根拠となるキーワードは「SNS」「商業主義」「政府」の3つです。

  一つめの「SNS」。インターネットが普及する前にもソーシャルネットワークというものはあったはずで、口コミだとか噂だとかがそれにあたると思います。ある文化―この場合はごく狭い範囲の文化ということになりますーが栄えるには、このソーシャルネットワークが重要な役割を果たしています。

 何か面白いものや、楽しいことが人々の話題に上る。それが大勢の人の心を捉えると、流行が生まれて、猫も杓子もなんとやらという状況になります。その状況がさらにモノやサービスを向上させ、洗練させていく。しかしこの段階ではまだ一過性のブームと区別できず、文化と呼ぶには難があります。

 そこで二つめの「商業主義」が登場します。大勢の人が群がる何かが発生すると、そこに必ず商売人が目をつけます。そこで流行のモノやサービスが多量に流通し始め、その消費を促すように広告が打たれる。そうして流行に拍車がかかり、莫大なお金が流れるという寸法です。

 さて莫大なお金が流れ始めると、そこに目をつけるのが三つめの「政府」。商売人だけに儲けさせるのは愚の骨頂とばかりに、規制を強めたり緩めたり、アメとムチでなんとかお金の流れを自分に向けさせようとします。その一環として、お金を生む文化に「お墨付きを与える」という技があります。

 ここに至って、ただの流行だったものが、国からのお墨付きを頂いたひとつの文化として完成します。が、多くの場合、この段階ですでにその流行は終わり、文化としては衰退の坂を転がり落ちるという運命を辿ります。

 現在「伝統文化」として細々と生き残っているものは、過去にそういった道を辿ってきました。世襲、権威、腐敗などに蝕まれ、硬直した世界がそこにはあります。新しいものを生み出す熱も光もない世界。ただ古いものを踏襲し、過去の栄光を反芻し、腐敗した権威にすがることでしか生き残れない文化。もちろんすべての伝統文化がそうなっているわけではないですが、そうなっていない伝統文化は、ほぼ例外なく絶滅危惧種に該当するんじゃないでしょうか。

 文化は文化として認められた時点で文化として終わる。ものすごく大雑把に話をまとめると、そういうパラドックスができあがります。

 一部の優れたクリエイターの才能と情熱が人々を魅了し、お金を生み、大衆化し、権威が生まれ、腐敗し、衰退していく。そういうサイクルが繰り返されるのが「文化という世界」なのではないか、そんな風に思った次第です。

 そう、おそらく文化というのは、人が存在する限り繰り返される、創造の円環なのではないでしょうか。