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ごくまトリックス

いらっしゃいませ。アニメ・子育て・雑文と、責任持てない与太話。あくまで個人のたわごとです。

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黒きポイの狂想曲(カプリチオ) -1-

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1.夏の夕暮れ

 6時を過ぎたところだ。ガラスの器に移しためんつゆに、おろしショウガときざみネギを投入し、箸でかきまぜる。氷水を湛えたガラスボールの中を漂うそうめんをすくい、めんつゆにひたして一気にすする。同じ動作を10回ほど繰り返したところで、腹は適度に満たされた。そこで箸を置き、食卓を立つ。

 「もういいの?」

 「うん、ちょっと出かけてくる」

 「宿題はちゃんと進んでるんでしょうね?」

 「……ふ」

 「ちょっとタカシ!」

 母の声を背後に聞きながら、サンダルをつっかけて外に出た。ジャージの短パンにTシャツというラフすぎる格好だが、どうせ一人だ。問題ない。太陽はまだ遠い山々の稜線の上にあって、容赦なく熱を放っている。しばらく歩くと私立の瑞葉保育園があり、その園庭で毎年恒例の町内盆踊り大会が開かれる。しかし俺の目的は盆踊りではない。会場内に出る露店の数々、その中で最も華麗を極める「金魚すくい」こそが、俺の目的である。

 瑞葉保育園は、町内で最も規模の大きな寺が経営しているもので、園舎のすぐ裏手には寺の本堂がある。盆踊りは、その名のとおり盆に行われる踊りである。そして盆は、仏教思想から来たイベントである。華やかな盆踊りの裏側では、静かに“施餓鬼会”という寺の行事が行われている。地獄の餓鬼道に落ちた者たちに施しをするから“施餓鬼会”というらしい。山門の奥でろうそくの火がゆらめき、大人たちが静かに本堂を出入りする。もちろん子供には興味のない話だ。実際のところ何をやってるのか、俺だって知らない。

 保育園の西門から園内に入り、薄暗い山門を横目に、全体的にピンク色の光で照らされた盆踊り会場へ向かう。まだ人は少ないが、すでに盆踊りは始まっていた。やぐらの上では役員のおじさんが炭坑節に合わせて太鼓を叩き、その周りで着物姿のおばさんたちが、手をひらひらさせながら踊っている。おばさんたちが作る踊りの輪の外側に、若い女の人や、小さな子供が踊る姿がちらほら見える。俺も小さな頃からほぼ毎年通っているが、盆踊りに参加したことは一度もない。俺の興味はひたすら露店であり、綿菓子であり、イカ焼きであり、風船釣りである。そして17になった今、俺の目的はただひとつ、金魚すくいのみに絞られているのだ。

 いつからだろう……俺が金魚すくいの魅力に取り付かれたのは。たしか、中学に上がって、同級生たちが盆踊りや露店にそれほど興味を示さなくなった頃だ。俺も同級生たち同様、子供向けの露店には興味を無くしかけていた。仲のいい友達が、母親の実家へ里帰りして遊び相手がいなかったとき、ちょうど盆踊りをやっていて、暇をもてあました俺は、なんとなくぶらりと立ち寄ってみた。そこで出会ったあの男……今でもこの脳裏に鮮明に焼きついている、華麗なポイ捌き。それまで子供の遊びと思っていた金魚すくいを、全く別次元の芸術として魅せつけてくれた、あの男の美技。それ以来、俺もあんな次元の金魚すくいをしてみたいという思いに取り憑かれ、町内の盆踊りに留まらず、近隣の地区で開かれる盆踊りや縁日、花見会場など、露店が出るイベントには、金魚すくいを求めて必ず足を運んだ。愛車のママチャリ“Goldfish号”のペダルを漕ぎまくって……。

 そうしてガムシャラに経験値を稼ぎ、俺も今ではそこそこすくえるようになった。金魚すくいの露店を出しているテキ屋さんの中にも、何人か顔見知りができた。今年の町内の盆踊りに店を出しているのは、去年と同じヤザワさんだ。年は四十をいくつか過ぎている雰囲気で、額がMの字になった短髪のおじさんである。本当の名前は知らないが、いつも「YAZAWA」という文字が入ったタオルを肩にかけているので、俺の中で勝手にヤザワさんと呼んでいる。彼も俺の名前は知らない。ただ「兄ちゃん」と呼ぶ。お互い名前は知らなくとも、何の不自由もない。金魚をすくう、ほんの数分間だけの関係だ。

 「よう、兄ちゃん。毎度」

 ヤザワさんは俺の顔を見つけると、渋い笑顔で声をかけてくれた。

 「ども」

 軽く頭を下げて、ジャージのポケットから小銭入れを出し、三百円をヤザワさんに渡した。ヤザワさんは、足元の籠からポイとアルミのボウルを取り出して俺に渡す。普通は小さなプラスチックの椀なのだが、俺くらいのレベルになると少なくとも十匹以上は獲るから、すくった金魚が窮屈になってしまうため、椀より少し大きめのボウルなのだ。

 彼の店はプラスチック製の枠を使ったポイを出し、年齢別に種類を変えている。幼児から小学校低学年は黄色、小学校高学年から中学生は青色、そして高校生以上は緑色のポイが渡される。年齢に応じて、紙の厚さを変えているのだ。黄色は4号、青色は5号、緑色は6号といった具合に、号数が上がるほど紙が薄く、破れやすくなっている。こういったシステムは、店によって様々だが、俺はヤザワさんの店の、子供に優しいシステムが好きだ。しかしそれは逆に、大人に厳しいシステムでもある。6号のポイは、かなり破れやすい。下手なやつだと、一匹もすくえずに終わることも珍しくない。

 ヤザワさんから受け取ったポイとボウルを構え、水槽の中を呑気に泳ぐ金魚たちを品定めする。大小様々なサイズの小赤に混じって、黒出目金、やや大きめの琉金、さらには珍しくピンポンパールも何匹か泳いでいる。今日はまず小赤から攻めて、ウォーミングアップといくか……。