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機会格差とはなんぞや

グダちゃん日報

若者に機会格差をもたらした日本の中年世代の大罪

http://gudachan.hatenablog.com/entry/2014/03/26/112514

 という記事について、反論というほどのものではないけれど、ちょっと思うところを書いてみる。

 ざっくり言うと、なんだか不毛な話だなぁというのが正直な感想。もうタイトルからして「中年世代の大罪」っていう、特定のカテゴリに属する人たちに責任があるというスタンスが不毛の大地感にあふれているね。記事の締めくくりはこう。

> 若者を悩ませ、苦しめている戦犯は政治家や企業経営者というよりは、こうした人たちではないだろうかと私は思う。個人主義と利己主義は違うということを知らない彼らは、己の罪深さの自覚を持つ必要があるのだ。

 んーと・・・それで?という感じのオチ。しかも戦犯て。若者はほっといても悩み苦しむもんでしょうが。いや、いいんですよあくまで個人の考えですから。小金持ちの中年世代は若者に機会を与えず、悩み苦しませているという罪を自覚しなさいと。だけど、そりゃ誰一人として自覚しませんよ。何かしらこう、社会への提言めいたことを書いてはいるけれど、これ読んで己の罪を自覚する中年世代が存在するとは思えませんよ。ああ、俺はなんて罪深いのだ、もっと若者に機会を与えねば!と思うには、少なくとも脳内に50ヘクタール以上のお花畑が必要でしょうな。

 団塊世代以上のリッチメンは、若者に機会を与えていろんな才能を世に送り出してきたんだぞ、という意味合いのことが書いてありますが、今どきの中年にもそういう人はいると思うんですよ。エグザイルの社長とか。あとは・・・あんまり知りませんけどね。いや、でもいるでしょう、IT業界とか。知りませんけど。

 ていうか問題はそこじゃなくて、若者に機会を与えればそれで世の中活性化するんじゃねぇの的な、安直な考えは違うんじゃないかと。そもそも、機会を与えられて世に出た人ってのは、もともとその人自身の才能なり努力なりがあって、だからこそ機会を与えられて出世したんでしょ。それを、本人の才能や努力という面に触れずに、あたかも団塊世代以上のおじさんたちの功績、みたいな言い方するのなどうなのよ。本人の才能と努力があり、機会を与えられる人との出会いがあり、それが実を結んで世に出たということでしょう。決して、どちらか一方の功績だとは言えないわけですよ。

 いくら金があっても、才能もない努力もしない、つまらない人間(俺のことかーっ)に、わざわざ金出してまで機会を与えようなんて、誰も思わんでしょう。がんばってる若者を助けたいなと思ってても、そんな若者に出会えるとは限らないし、才能があって努力もしているけど、機会を与えてくれるお金持ちに出会えないかもしれない。

 さらに、お金持ちのところには「がんばりますから機会を与えてください!」つってお金だけ持ってく詐欺師がブビビンと飛んできたりする。そうやって騙されてひと財産持ってかれた人もいますよ実際。逆に、若者の才能と努力を食い物にしてガッポリ儲けようなんて考える賢い大人もゴロゴロいますわな世の中には。

 要するに、機会ってのは与えたり与えられたりするもんじゃなくて、単純に縁があるかないかの問題じゃなかろうかと思うわけですよ。お金持ちや若者の意思でどうにかなるもんじゃなくてね。それを「中年世代の罪」なんてのはナンセンス以外の何物でもないぞなもしってことです。