心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

シュークリーマーごくま

 昨日はラジオ番組の話を書きました。毎週聴いているラジオ番組で「山田五郎中川翔子のリミックスZ」というのがあります。この地方ではエフエム岐阜で毎週金曜日の夜9時30分から放送しています。全国のラジオ局で朝から晩までいろんな時間帯に放送しているらしいです。

park.gsj.mobi

 数カ月前から、この番組内で、山田五郎さんがシュークリーム好きで、番組の収録前や収録中に差し入れのシュークリームを食べるという話が、オープニングトークでちょいちょい繰り広げられます。シュークリーム好きの山田五郎さんはシュークリーマー(シュークリーム愛好家)を自認していました。

 そうか、シュークリーム好きな人のことをシュークリーマーというのか。

 「じゃあ俺もシュークリーマーだな!」

 ということで今日は、最近自分の中でヒットしたシュークリームの話です。

 仕事帰り、コンビニやスーパーで買い物をすると、ほぼ毎回シュークリームを一緒に買います。シュークリームの新商品は出ていないかな、とスイーツコーナーに立ち寄ります。シュークリームに限らず、スイーツは季節ごとに新商品を展開するので、1~2カ月くらいのサイクルで何らかの新商品が出回ります。本当のサイクルはもっと早いのかもしれませんが、僕の個人的感覚ではそのくらいのペースです。

 今年の夏は、お菓子業界で「瀬戸内レモン」がやたらフィーチャーされていました。シュークリームも例外ではなく、瀬戸内レモンのシュークリームが出ていました。でもこれはそこそこの美味しさで「おっ」と思うほどのインパクトは感じませんでした。

 他にも、抹茶、チーズ、みかん、生チョコ、ゆず、いちご(あまおう)、メロンなどなど、かなりの種類のシュークリームがあります。その中で個人的に近年稀にみるアタリ商品は「大きなツインシュー/生キャラメル&ホイップ」byヤマザキです。

 しっかり味の生キャラメルと軽やかなホイップクリームが、絶妙なハーモニーを奏でるスイートな二重奏は、まるで天上の雲海を漂うがごとき至福の味わい。しかもビッグサイズのシュー皮に包まれたたっぷりのクリームは、仕事帰りの空きっ腹にしっかり応えてくれます。車中でかぶりつくシュークリームの甘さは、脳内に得体の知れない幸福物質を誘導します。

 そんな状態で家に帰ると、当然のことながら晩御飯がいつもほどお腹に入りません。そんなに量を食べたわけじゃないのに、なんだかお腹がいっぱいだなぁと思っていると、そういえばさっきシュークリーム食べたな、と思い出します。食後のスイーツは別腹でも、食前のスイーツは別腹にならないらしく、うかつに普段通り晩御飯を食べていると、気づいたときには胃袋はパンパン。

 胃袋と食道を仕切る括約筋が衰えた中年男は、パンパンに膨れた胃の内容物をしっかり閉じ込めておくことができず、消化途中の食べ物が、ちょっぴり食道側に漏れてしまいます。そうして胃酸にさらされた食道下部が炎症を起こし、逆流性食道炎になってしまうのです。

 どうも最近胸やけがするなぁと思ったら、原因はシュークリームか。でも美味しいからシュークリームはやめられない。晩御飯の量を減らさないとな。寒くなってきて、体もどんどん脂肪を貯めこもうとしている様子。今月に入ってから、あきらかにベルトがきつくなってきてる。これ以上はまずい。

 ということで、シュークリームを食べた分は、ちゃんと他の食事でカロリーを削りましょう、という話でした。

 ではまた!

シュークリーム 濃厚ミルクシュー3&濃厚ミルクシュー5 お試しセット(lf)
 

 

 

 

ネットラジオが予約録音できていなくてピヨる

www4.nhk.or.jp

 NHK-FMのラジオ番組「アニソン・アカデミー」を、毎週予約録音して聴いています。しかしタイトルの通り、今週はネットラジオのレコーダーソフトがクラッシュしてしまい、録音に失敗しました。家に帰ってパソコンの画面を見ると、ソフトがエラーで終了した旨のダイアログが。

 ざっけんなよネットラジオレコーダー!せっかく有償アップグレードでバージョン7にしたっちゅーのに、これで録音失敗するの3回目やぞ!今週は松山出張スペシャルで久しぶりにマクロス藤崎アナが登場したはずなんだぞ!しかもアニソン・アカデミーはらじるらじるの聴き逃し対象外なんだ!二度と聴けないんだよ!どうしてくれる!ああん!?

 アニソン・アカデミーでは、年に1回か2回くらい、課外授業と題していつもの505スタジオを出て、NHKの地方局から公開生放送するんですよ。その会場に集合するリスナーを番組で募集して、好きなCDを持ってきてもらって、生放送でそのCDをかけるっていう企画があるんです。抽選だか選抜だかでCDをかけてもらえることになった人が、その好きなCDにまつわる話を披露したりするんですよ。で、そこに集まるリスナーのオタク率が高いので、喋りだけでオタク感を醸し出す強者(ツワモノ)が一人や二人は出るんです。さらにそういう人が持ってくるCDが通好みのアニソンだったりするので、聴きながらすごくニヤニヤしてしまうんです。

 せっかく楽しみにしていたラジオ番組が聴けないというこの残念感をどうしてくれよう。

 他にも、深夜に放送されているradiko系の番組を予約録音しているんですが、そっちは問題ないんですよ。NHKのらじるらじるだけ録音に失敗することが多いんです。先月だか先々月だか忘れましたが、これもNHK-FMで放送された「桑田佳祐三昧」も予約しといたのに失敗してて。ネットラジオレコーダーはらじるらじると相性が悪いんですかね。他のソフトを検討しようかな。

 と思って調べたら、radikoolというフリーソフトがあるじゃないですか。らじるらじるも聴ける、予約もできる、iTunesに登録できる、ネットラジオレコーダーで使ってる機能はほとんど同じですよこれ。これだけできてフリーとはありがたや。早速、試しに来週使ってみよう。その前に今週の深夜番組も録音してみるかな。保険としてネットラジオレコーダーと併用できるかどうかも試してみなくては。

 ここ数年、ネットラジオにハマってからは、PCで録音してiPhoneにコピーして車中で聴く、というパターンが出来上がっています。今現在はアニソン・アカデミーも含め、週に8番組を録音しています。ほぼアニソン・声優関係の番組ばかりですけど。radikoプレミアムに登録すると、住んでる地域以外の地方局の番組も聴けるので、いろんな番組を探す楽しみもありますよ。

 まぁね、パソコンソフトなんてそれほど信頼性が高いわけじゃないし、放送局側の突然の仕様変更なんかに対応するのは大変だってのはわかりますよ。ソフトの問題じゃなくて僕が使ってるPCに問題があるのかもしれないしね。ああ、怒って悪かったよ。これからも仲良くやっていこうぜ。

 ということで、また次回!

 

NHKネットラジオ らじる★らじる

NHKネットラジオ らじる★らじる

 

 

radiko.jp

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人生が変わるとき

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 はてなのトップに「ブログをはじめたら人生が変わった」というブログ記事が載っていました。「警察官クビになってからブログ」という人気ブログです。記事の内容はタイトル通りなので詳しくは触れませんが、以前から「人生が変わる」ってどういうことだろうと思っていたので、あらためて考えてみることにします。上記のブログの内容についてどうこう言うわけではありません。

 人生が変わることについて考える前に、そもそも人生とは何じゃろかというところから始めます。簡単に言えば、人が生きること、人の生。あるいは人の生き方、あるいは人が生まれてから死ぬまでの時間。「人生」というと、人の一生のような、大きな括りで捉えられることが多いと思います。

 人生が変わると言うとき、それは主に、人生のある時点の前後で、大きな変化が起きたという意味合いで使われます。ある時点を境に、不幸だった人が幸福に、貧乏だった人がお金持ちに、モテなかった人がモテモテに。もちろんその逆もあるでしょう。

 そういう変化が起きた時、果たしてそれは本当に人生が変わったのか、あるいはもともとそういう変化が起きる運命だったのか、どっちなんでしょうか。人生が初めから終わりまで運命づけられていて、固定したルートを通る過程だとするなら、途中でどんな劇的な変化が起きたとしても、もともとそういう変化を経験する運命だったとしたら、それは人生が変わったとは言えませんよね。

 人生が初めから終わりまで不確定で、何が起きるか決まっていないとした場合はどうでしょうか。この場合は、ある劇的な変化をもって人生が変わったと言えるでしょうか。

 人生が変わったと言うとき、人生を変える何らかの出来事がなければ、それ以降も人生に変化はなく、同じ状態が続いていたはずだという前提があります。例えば宝くじに当たらなければ貧乏なままだったとか、ある人に出会えなければ不幸なままだったとか、そういうことです。

 しかしここでさっきの仮定を思い出してください。人生がすべて不確定で、何が起きるか決まっていないなら、同じ状態が続くかどうかもわからないはずです。一寸先は闇なんですからね。同じ状態が続くという前提が成り立たない以上、ある出来事をきっかけに人生が変わったとは言えないはずなんです。人生が変わったというのは、過去を振り返って見たときの、後付けの理屈でしかありません。

 別の言い方をすれば、人生がすべて不確定だという立場にあるなら、人生は常に変化と流転の最中にあるということですから、変わって当たり前の状態なんです。何かが起ころうが起こるまいが、人生は常に変わっている。だから特定の出来事をきっかけに人生が変わったとは言えません。

 人生があらかじめ確定した物語だとしても、何一つ決まっていない変転のプロセスだとしても、どっちにしても「人生が変わった」と言うことができない。妙な話です。単に僕の考え方、論理展開がおかしいだけなんでしょうか。

 僕自身、これまでに「人生が変わった」と思うような出来事はいくつかありました。だけど、頭の隅にはいつもこの疑問がこびりついています。俺の人生は変わったのか、それとも運命だったのか、変わったと錯覚しているだけなのか……と。

 はいそんなわけで、今日はこれまで!

人生ゲーム(2016年ver.)

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ハーバードの人生を変える授業 (だいわ文庫)

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断絶

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かっこいい「飛び方」の話

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 魔法少女もそうだけど、超能力少年に欠かせない能力、それは空を飛ぶ能力。

gokumatrix.hateblo.jp

 人間の「飛ぶこと」への憧れは、飛行機という文明の利器を生み出しました。しかし、人が本当に求めているのは、機械に乗って飛ぶことではありません。自分の力で自由自在に飛び回ることです。きっとそう。だから魔法少女も超能力少年も自由自在に空を飛ぶことができます。

 人間が単独で空を飛ぶという能力を発揮する作品は、漫画や映画、小説などで数多ありますが、空を飛ぶ時のポーズというのは実に様々です。人やキャラクターが単独で空を飛ぶ作品の歴史というのは興味ありますが、実際に調べるのは大変なのでやめときます。今回もまた僕個人の狭い知識をもとに考察していきますのであしからず。

 僕が知っている「空を飛べる架空の人物またはキャラクター」で一番古いのは、スーパーマンです。スーパーマンが飛ぶときには、両手のこぶしを握り、片腕を前に突き出し、もう片方の手は肘を曲げて腋を締める、というポーズ。そして身体の姿勢は、進行方向に向かってほぼ水平になります。

 これに類するのが鉄腕アトム。彼の場合は曲げたほうの肘が腋を締めていなかったり、両肘を曲げてガッツポーズみたいにしていたり、バリエーションはありますが、こぶしを突き出すという点でスーパーマン型に分類できると思います。同じく国産ロボでマジンガーZ。ジェットスクランダーを装着して空を飛ぶポーズは、鉄腕アトムと同じガッツポーズか、両手のこぶしをまっすぐ突き出すポーズです。鉄人28号もそうなんですが、初期の日本のロボットは両肘を曲げるガッツポーズが多いです。プロレスの影響ですかねぇ。マグマ大使もそんなイメージ。あくまで個人的なイメージですけど。

 さて次にウルトラマンウルトラマンは兄弟や親戚が多くて、みんなの飛び方が同じかどうか知りませんが、基本のウルトラマンに限って言えば、両手のひらを開き(指は閉じています)、手のひらを腹側に向けて両手を前に突き出します。水泳で飛び込むときのような体勢ですね。そして身体はやはり水平。一番空気抵抗が少なそうな、美しい飛びポーズです。

 次にうる星やつらラムちゃん。魔女を除いては珍しく「飛べる女子」である彼女の飛び方は、彼女自身のキャラクターも反映されていて、女性らしいしなやかなポージング。ヒーローやロボットと違って「飛ぶぞ!」という気合がなくてもいいので、ごく自然にふんわり浮かんでいるという感じの飛び方です。とりたててポーズというポーズがない、飛ぶことが日常の一部であるということを表現した飛び方です。

 さてそんな空飛ぶキャラクターの(個人的な)歴史の中で、僕が一番かっこいい「飛びポーズ」だと思ったのは、劇場アニメの幻魔大戦です。あの作品に出てくる超能力者たちの飛びポーズが、僕の目にはすごく新鮮で、かっこよく見えました。

 足は軽く開いて、膝も緩み、自由に動いている。腕もふわっと力が抜けた感じで肩から開いていて、身体は全体的にリラックスした姿勢。でも、軽くこぶしを握った両の手首が、キュッと内側に曲げられていて、そこに「戦う意思」のようなものが見て取れる。これ見よがしに「飛んでいるぞ」というポーズではなくて、体が浮き上がって自然にそのような姿勢になった、という感じ。何らかの推進力で飛ぶというより、無重力の中を意思の力で移動するようなイメージ。そう、まさに超能力で飛んでいるのだ、ということが見て取れる体勢なのです。

 この飛びポーズというか飛ぶときの姿勢は、幻魔大戦が最初かどうかわかりませんが、後の時代の作品でもかなり使われています。ドラゴンボールもこれに近いものがあります。幻魔大戦に比べるとかなり力が入った感じではありますが、そこは強さとスピード感を表現するためのアレンジと考えられなくもないでしょう。

 幻魔大戦以降、キャラクターが空を飛ぶときにポーズを決めるというのは、僕の中で一気にダサいものになってしまいました。人が意思の力で自由に空を飛ぶとしたら、まさにこうであろうよ、という「架空のリアリティ」を示してくれたのが、幻魔大戦におけるキャラクターの飛びポーズなのではないか、と考えるのであります。

 ということで、今回はこれまで。またね!

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魔法少女と超能力少年

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 数日前に、魔法使い関係の話を書きました。

gokumatrix.hateblo.jp

 今日はそこから連想して、少女といえば魔法、少年といえば超能力、という話をしたいと思います。

 僕が幼少の頃に観ていた魔法少女もので印象が強い作品といえば「魔法使いサリー」や「魔女っ子メグちゃん」でした。たぶん他にもいろいろあるんですが、再放送で何回も観た覚えがあるのはこの2作品です。

 次に超能力少年ものといえば「バビル二世」。他にはあまり思い浮かびませんが、これよりずっと後の時代になると「幻魔大戦」の東丈(あずま じょう)、さらに下って「AKIRA」と、期間は空いているものの、超能力少年の系譜は続いています。最近では、去年アニメ化された超能力少年漫画「モブサイコ100」がありますが、主人公のモブは東丈やバビル二世のスタイルを意識したと思われる学ラン姿です。

 しかし調べてみると、幻魔大戦石ノ森章太郎平井和正の合作漫画としてバビル二世よりも前に発表されていて、バビル二世より東丈のほうが先輩なんですね。アニメ化はバビル二世がずっと早いので、てっきりバビル二世が先だと思っていました。バビル二世がテレビでやってた頃は、まだ漫画もろくに読めない年齢でしたから、幻魔大戦のことなど知る由もありません。しかし後にアニメ映画となった幻魔大戦をきっかけに、平井和正にハマり、大友克洋にのめり込んだ僕なのでした。

 それで、なんで少女は魔法で少年は超能力なのかという話。僕が思うに、魔法は科学と対極にあるメルヘンチックな世界観の元に現れる力であり、超能力はまだ科学では解明されていないけれど、いずれ解明できそうな予感がする魔法よりは科学に近い物理的な力、ということでそのイメージが分かれるのではないかと。

 であるがゆえに、女子は魔法に憧れ、男子は超能力に憧れる、というような図式が出来上がったのではないかと考えます。ただし後の時代になるとは魔法少年(ハリーポッター)も超能力少女(エスパー魔美)もメジャーになるので、これはあくまで昭和オヤジの勝手なイメージでしかありませんけど。

 昭和オヤジならぬ昭和少年だった頃、バビル二世が僕に刷り込んだ超能力への憧れは強力で、その後の幻魔大戦にのめり込む準備は幼児期から出来上がっていたのでしょう。バビル二世と東丈との共通点、それは学ランです。中学生になったとき、初めて学ランを着た自分を鏡で見た僕は、思わず「超能力!」と心の中で快哉を叫びました。学ランを着ただけで何が「超能力」なのかよくわかりませんが。

 幻魔大戦平井和正の「教義」に触れ、AKIRA大友克洋の「宇宙」に惹かれた僕は、超能力は単なる力ではなく、究極の「真理」に触れ得る能力なのだという結論に達しました。以来、僕はいまだに超能力に憧れる「超能力中年」になってしまいましたとさ。

 おしまい。

 

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