心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

夢の中にガッツ石松さんが登場してひと悶着あった話

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 今朝見た夢の話を書きます。

 どういう場所にいたのかは覚えていませんが、ガッツ石松さんの奥さんから、ムフフなアプローチを受けます。もしかしたら私はボクシングジムにいたのかもしれません。ガッツ石松さんの本当の奥さんはどんな方か存じませんが、夢の中に出てきた人はとっても若くて綺麗な女性でした。

 そんな若くて綺麗な女性にムフフなアプローチを受けて鼻の下を伸ばしていたら、それに勘づいた石松さんが22歳の小柄な格闘家を刺客として差し向けてきました。なんで22歳なんだ。その設定必要か?しかし夢なので大目に見てください。

 私は無理やりリングに上げられ、試合をさせられます。途中までがんばって戦いましたが、何かが起きて試合が中止されます。何が起きたのかは覚えていません。そこ重要な気がしますが、夢なので仕方ありません。

 リングを下りた私は、石松さんに頭を下げて謝ります。奥さんが勝手に誘ってきたのに、なんで私が謝らなきゃならないのか、とは考えませんでした。毅然とした態度で断らなかった私も悪いのです。

 場面は変わって、数年前まで実際に乗っていた車で山道を走っていました。その車は15年近く乗っていたので、愛着があったんですよね。夢にまで出てくるなんて。私は何かを納品に行く途中です。何を納品するつもりだったのかはわかりません。これまた夢なので仕方ない。

 納期ギリギリだったのか、もう納期を過ぎていたのか知りませんが、とにかく急いで車を飛ばしていました。ヘアピンカーブに差し掛かると、下手なドリフトで

 ズギャギャギャギャー!

 とコーナーをクリアします。しかし2つ目のヘアピンでドリフトに失敗して、路肩の斜面にぶつかって車が大破しました。夢なので大破のしかたもおかしい。ボディーだけパコッと外れて、私はシートが載ったシャーシだけになった車でヘロヘロと坂道を下っていきます。途中のカーブで道を外れ、用水路に半分乗り出して車が止まりました。ルパンみたい。

 ギリギリのバランスで止まっているところを、地元のおじさん2人がよっこらしょと戻してくれました。この時期はこういう事故がよくあるんだよね~と言ってました。どんな時期だ。

 車を戻してもらったところで、斜面に取り残されたボディを取りに行きました。おじさん2人と私の3人でボディを持ち上げて運ぼうとしているところに対向車がやってきました。でも私たちの様子を見て、関わりたくないと思ったのか引き返していきました。

 後ろを振り返ると、私がいま下ってきた坂道を、でっかいトラックが下りてくるところでした。やばい!はよせな!というところで目が覚めました。以上。

 全然面白くねぇ!

  ではまた!

最驚!ガッツ伝説

最驚!ガッツ伝説

 

 

 

22歳

22歳

 

 

感受性とか心の器とかそのキャパとかの話。 ~違う、そうじゃない~

nyaaat.hatenablog.com

 こういう話、わりと好きなので掘り下げてみたいと思います。

 最初に断っておきますが、僕個人の感覚としては、上の記事のような考え方はわからなくもない。しかし的は外れてるな、という気がします。「違う、そうじゃない」と言ってしまいたい衝動にかられます。その衝動に駆られてこの記事を書いているわけですが、あくまで個人の感想なので、あまり真に受けずに読んでいただければよろしいかと思います。

 感受性、という言葉はちょっと綺麗だし、人が何らかの出来事を受け取るアンテナの感度、という程度の意味合いとすればわかりやすいので簡単に使ってしまいがちですが、実のところ、感受性の強弱と、心の強弱とは全く関係がありません。感受性が鋭くて心の強い人もいれば、感受性が鈍くて心の弱い人もいます。

 いわゆるメンヘラ系の人にありがちな話として、普通の人にとって何でもないことを、すごく重く受け止めたりして、自己嫌悪やら妄想やらが止まらなくなる、といったことを聞きます。これは感受性が強すぎるからだとよく言われますが、感受性云々というよりは、妄想が暴走しやすい傾向にある、ということだと思います。

 僕の考えでは、心の強い人と弱い人の違いは「恐怖への耐性」にあります。いわゆる心の弱い人が、なぜいろいろなマイナス思考や妄想に囚われやすいのかというと、そのような思考に囚われることで恐怖を覆い隠そうとするからです。その内容が楽しかろうと苦しかろうと、とにかく何かを思考し続けることで頭をいっぱいにしておけば、とりあえず恐怖から目を逸らすことはできます。

 しかし実は、頭の中を妄想で充満させておくことは、恐怖を充満させておくことと同義です。なぜかというと、恐怖から目を逸らすことがますます恐怖を増幅させるからです。見えないこと、わからないことが恐怖を助長するというのは簡単な事実ですよね。

 心の弱い人は、妄想で築き上げた自分の殻に閉じこもり、その中の材料だけで物事を捉えようとします。だから何か新しいことを体験すると、その体験への恐怖を覆うために妄想を総動員します。知らないものを見たくないので、知っているものでそれを包み込んでしまうのです。

 感受性の豊かさとは、知らないものをそのまま受け入れる心の柔軟性です。自分がそれまで知らなかったものを受け入れることは、心にそれを受け入れるだけの余地がなければできません。つまり、心が空っぽでないと何も受け取れないということです。知っていることで充満した心に、新しいものが入ってくる余地はありません。単純なことです。

 感受性が豊かなら、心が新しいものを受け入れるなら、妄想が入り込む余地はありません。そして見るもの全てに新鮮さが宿ります。夕焼けでも、カラスでも、皮膚病で頭の禿げた猫でも、その猫が道端に落としたフンでも。満員電車でも、嫌いな上司でも、スカートの短いお姉さんでも、エグザイルのジャージを着たお兄さんでも。なぜなら、それらは自分が知っている昨日とは違う、新しい体験だからです。

 心の弱い人は、空っぽであることを何より恐れます。知らないこと、新しいことを受け入れるには空っぽでなければいけない。でも空っぽになってしまうことは死ぬほど恐ろしい。だから知っていることで心をいっぱいにする。それが堂々巡りの思考や妄想といった形で現れるのです。

 心の弱さとは、自分の心の器を手放さず、すべてをその中で処理しようとすることです。だから、器に入らないものは処理しきれないし、器が壊れたといっては落ち込んだりするのです。心の強さとは、器を持たないことです。器の形や大きさなどは関係ありません。器の形や大きさにこだわるのは弱い人です。強い人はそんなことに興味を持ちません。器は単に器でしかなく、必要に応じて使えばそれで事足りるからです。

 一般に、心が強いことは善いことで、心が弱いことは悪いことだと思われがちですが、心の強弱と善悪の概念を結びつけて考えるのは愚の骨頂です。さらに、心が強いとか弱いとかいう考え方も、所詮は方便でしかなく、実際の心のありようと向き合う時には不要な概念です。

 心が強いとか弱いとか、器が大きいとか小さいとかは、心の本当の意味とは無関係な話です。自分が思う以外のところで、心が本当に存在しているのかどうか、考えたことはありますか?自分とは何か、心とは何か、本気で真剣に考えたことはありますか?

 ……って、誰に聞いてるんだ?

 

違う、そうじゃない

違う、そうじゃない

 

 

銀杏の殻割り器が無駄に高いとお嘆きのあなたに

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 銀杏の季節がやってまいりました。嫁さんの実家は銀杏の生産量日本一の町。銀杏農家ではありませんが、この時期、これでもかというくらい銀杏をいただきます。銀杏好きのごくまにとって、秋は美味しい銀杏がタダでもらえるとってもありがたい季節です。スーパーで買うと結構なお値段しますでしょう?

 そんな大量の銀杏を毎晩レンジでチンして食べていますが、問題は殻割り作業。銀杏は滋養強壮に効果があるそうですが、食べ過ぎると中毒を起こすということで、一日に食べる量は20粒までと決めています。嫁さんと二人で40粒。これだけの殻を割るのはそこそこ面倒な作業です。

 殻を割らずに茶封筒に放り込んでそのままチンすれば勝手に爆発して楽チン、と思って以前はそのやり方を採用していました。しかしある時、量が多かったのか封筒まで破裂してしまい、レンジの中が大惨事になって以来、禁術として封印されました。

 あらかじめ殻を割っておけば、破裂することもないのでそのまま器に入れてラップでもすれば安全にチンできます。しかし専用の殻割り器は意外と高い。ただ殻を割る、それだけの機能しかないのに、1000円前後します。だったらペンチでよかろうと殻割りをやってみると、力加減が難しくて銀杏がぐしゃぐしゃに潰れること請け合い。

 そんな折も折、ダイソーでよさげなアイテムを見つけました。その名も「ロッキングプライヤー」。プライヤーの刃の開き具合を調整して固定できるというシロモノです。本来、掴んだものをそのまま固定して、手を放しても掴んだ状態を維持できるというのがウリな道具らしいですが、ごくまが注目したのは「刃の間隔を固定できる」という点。これならば、銀杏を掴みすぎて潰してしまう心配がありません。しかもお値段200円。ダイソー商品としては少しお高めですが、専用の殻割り器に比べれば激安です。そして銀杏を潰さずに殻を割るという機能は十分に果たしてくれます。

 実際使ってみると、殻割りがはかどるはかどる。力加減を気にせずに済むので、パッキンパッキンリズムに乗って楽しく作業していると、あっという間に殻割り終了。あとはレンジでチンしてほくほくの銀杏を美味しく召し上がれ、ってな寸法です。

 銀杏の殻割りが面倒だけど専用の殻割り器を買うほどでもない、という方はダイソーへGo!

諏訪田製作所 銀杏殻むき鋏 銀杏坊主 12110

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貝印 Cookfile 銀杏割り DH-2232

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短編小説の集い 投稿作品 「無花果の花」

 すこぶる久しぶりの参加となりました。お題は「実」ということで、凝りもせずSF仕立ての作品となっております。

novelcluster.hatenablog.jp

 

無花果の花

 ネロが目覚めたとき、彼の視界に入ったのは見知らぬ天井であった。青みがかった無機質な白い天井。それに輪をかけるように無機質なLEDの照明。彼は手術を終えてベッドに横たわっているのだった。これから向かう火星の過酷な環境に耐えうる肉体を得るための手術である。人類の火星進出が動き出したこの時代、ネロは開拓団の一員として活動するために必要となる適合手術を受けたのである。

 「よう、気分はどうだい?」

 隣のベッドから聞こえる声はネロの幼馴染、メアのものだった。彼らが寝かされている大部屋にはベッドが10台あり、全てのベッドにネロと同じ手術を受けた者たちがいる。彼らは貧しい環境に生まれ、廃棄物処理などの劣悪な労働環境で働いていた者ばかりである。

 「ああ……最高、かな」

 ネロは火星開拓団の話を聞いた時、迷いなくその危険な旅に参加することを決めた。メアも同じだ。地球でいくらキツい仕事をこなしたところで、暮らしが豊かになるわけではない。体が動かなくなれば職を奪われ、路頭に迷うのがオチである。彼らの親と同じように。

 それならば、火星の土地を開拓し、その土地で農作物を作るなり、何らかの資源を採掘すれば、一気に豊かな生活を手に入れられる可能性がある。保証があるわけではないが、火星開拓を主導する国際組織も、何の収穫も見込めない土地を開拓しようなどとは考えないはずだ。ネロたちはその望みに人生を賭け、後戻りのできない手術を受けたのだ。

 火星にはすでに人が活動するために必要な一定の環境が作られてはいるが、まだまだ生身の人間が自由に活動するには不十分である。不自由な作業服と、重い生命維持装置がなければ、火星の過酷な環境下で活動することはできない。それを克服し、より円滑に開拓活動ができるように人体を改造する手術を受けるのが、火星開拓団に参加する条件なのである。

 やがて火星へと旅立つ日が来た。開拓団を乗せたロケットの中、ネロは期待と不安を胸に、遠ざかる青い地球を見ていた。

 「本当によかったのか」

 出発前の検診を終え、待合室で顔を合わせたメアの声が甦る。

 「エリのためでもあるんだ。俺が成功すれば、あいつを火星に迎えて豊かな生活をさせてやれる」

 ネロには妹がいた。まだ幼いエリは施設で暮らしている。兄が火星へ行くと聞いて、泣きながら引き留めようとした。ネロは自分なりに火星へ向かう目的を説明したが、エリが本当に納得したのかどうかはわからない。しかし、幼いながら兄の決意を感じ取ったのか、最後にはネロの火星行きを承諾したのだった。

 長いような短いような眠りから覚めたとき、ネロが見たのは再び、見知らぬ天井であった。火星に到着した、着陸船の天井である。着陸船はすでに、宇宙ポートに隣接したドームに収容されていた。ハッチから外に出ると、思ったより地球に似た風景が広がっていた。ドームの透明な隔壁越しに見える火星の空は青く、大地には苔のような緑があちこちに繁茂していた。しかし高い木はなく、生き物の動きもない。低くなだらかな丘陵地帯が、見渡す限りどこまでも続いている。

 ネロたちはいくつかのチームに分かれ、それぞれが指定された居住区に移動した。同じチームに、メアがいた。

 「腐れ縁だな」

 メアが笑って肩を叩いた。

 翌日から、組織が用意した簡単な機械と資材を使って、ネロたちは火星の大地を切り拓いていった。大木や巨石があるわけではなく、元々平坦な土地のため、小型の耕運機のような機械で地表を耕していく作業の繰り返しだ。少しずつではあるが、その範囲は着実に拡がっていった。

 食事をとりながら、ネロは地球のエリに送るメールを打ち込んでいた。このメールが、いつ頃、どのように地球まで届けられるのかは知らないが、ネロは火星での暮らしなどを端末のキーボードで綴った。与えられる食事はいつも同じ、何かの果実のようなものだ。不思議と飽きることはないが、毎回同じものを食べていると、美味いとか不味いとかいった感覚も忘れてしまう。

 メアが部屋に入ってきた。

 「よう、可愛い妹にメールか。いい兄貴だな」

 「ほめても妹はやらんぞ」

 「俺に幼女趣味はないんでな」

 「もう幼女ではない」

 「そうか、確かにな。地球を出てからもう何年経ったのか……」

 メアも食事の途中だったのか、手にはネロと同じ果実を持っている。かじりかけのそれを見せて、メアが聞いた。

 「なあ、これ、美味いか?」

 「もうそんな感覚はわからんよ」

 「俺もだ。イチジクの味も忘れちまった」

 「イチジク?」

 「この実、なんだかイチジクに似てると思ってな」

 ネロは自分の手にある実を改めて観察してみた。言われてみれば、確かにイチジクに似ていなくもない。しかし本物のイチジクがどんなものだったのか、正確には思い出せなかった。おそらく、このイチジクのようなものも、適合手術を受けた人間に最適化された栄養が含まれているのだろう。

 「知ってるか、日本ではイチジクに『花の無い果実』という意味の文字を当てるらしい」

 「お前の祖父は日本人だったな」

 「ああ。しかし実際にはこの実の中に無数の小さな花をつけるんだ。外からは見えない花をな」

 「じゃあイチジクは実というより花を食べているようなものか」

 「そういうことになるな。それと、イチジクは不老長寿の実とも言われるらしい」

 「不老長寿か……この実を食べて不老長寿になれるなら、火星開拓も捗るんだがな」

 「毎日これを食べさせられるってのは、そういう洒落か」

 「そうかもな」

 そんな会話をしていたメアが、ある日突然いなくなった。移動用のビークルは無くなっていない。つまり徒歩でどこかへ行ってしまったということである。このあたりに、足を滑らせて落ちるような穴や崖はない。どこまでも見渡せる平坦な土地である。ネロはできるかぎり行方を捜したが、1週間を過ぎてもメアは見つからなかった。

 メアの捜索を諦めて、再び作業を開始したネロたちだったが、メンバーの1人が再び行方不明となった。そうして2人、3人と、次々とメンバーが消えていき、ネロたちのチームは当初の人数の半分になってしまった。

 この行方不明事件は他のチームでも起きているらしく、開拓団のメンバーは、たびたび会合を開いてはこの事件の真相について話し合ったが、何の進展もないまま時間が過ぎていった。

 最初の行方不明者であるメアが消えてから、およそ1カ月が過ぎた頃、最初に整備された区画の隅で、見慣れない植物の芽が生えているのが見つかった。地球から持ち込まれた植物ではあり得ない。地球の植物を持ち込む計画などないし、万が一ロケットや資材に紛れ込んでいたとしても、火星の環境で発芽するはずがないのだ。開拓団の者達は皆、この奇妙な植物の芽よりも、行方不明者の問題を優先すべきだと考えていた。しかしネロは、この植物と行方不明者を結びつけずにはいられなかった。そして、自らのおぞましい想像に終止符を打つべく、植物の根元を掘り返してみることにしたのである。

 開拓団のメンバーがパニックを起こさないよう、ネロは夜が更けるのを待ってから"発掘"を試みることにした。考えてみれば、行方不明者が姿を消すのは決まって夜だった。なぜ自分は今までそのことに気づかなかったのだろう。就寝前までドーム内にいた者が、朝になって消えたことが判明する。ならば、彼らがどこかへ消えるのは夜しかない。自分だけではない、開拓団の誰一人として、そのことに言及する者はいなかった。

 そんなことを考えているうちに、ネロはいつの間にか眠ってしまった。次の日の夜も、その次の夜も、今夜こそ植物の根元を掘り返そうと考えるのだが、気がつくと朝が来ていた。そして初めて、日没を過ぎると起きていられないことに気づいた。おそらく、手術のせいだろう。あるいは、あのイチジクに似た果実に何か細工がしてあるのかもしれない。そこに思い至った頃、開拓団のメンバーは火星に着いた時の3分の1になっていた。ネロ達が整備した土地には、あの植物が無数に茎を伸ばし、大きな赤い葉を広げて日光を浴びている。行方不明者のことについて、もう誰も口にする者はいなかった。まるで何一つ問題が起きていないかのように、彼らは淡々と作業をこなしていった。

 実際、何一つ問題はないのかもしれない。全ては計画通りなのかもしれない。そんなことを考えながら、ネロは誰もいなくなったドームの中から、一面に広がる"農場"を見つめていた。今なら、あの植物の根元を掘り返しても、誰も咎める者はいない。いや、誰かがいたとしても、咎める者はいなかったのかもしれない。ネロ自身の中に、それをさせまいとする何かがあったのだ。

 ネロは、意を決して土を掘り返してみた。ちょうど人がひとり埋まるほどの穴が出来上がった頃、辺りが真っ暗なことに気づいた。火星の夜を見たのは、これが初めてだった。そしてこれが最後になるのだろう。なぜ穴を掘っていたのだろう。なぜ夜なのに起きていられるのだろう。睡魔に襲われて朦朧とする頭の中でぼんやりと考える。目の前にぽっかり空いた穴が、優しいベッドのように見えた。ネロがゆっくりと穴の中に横たわると、夜空に満天の星が輝いているのが見えた。ひときわ青く光るのは地球だろうか。それとも遥か遠くの恒星だろうか。使い慣れた小型の耕運機が自動的に動き出し、ネロの体に土を被せていった。火星の土の重みを体に感じながら、ネロは深い眠りについた。

 

 あとがき

 マット・デイモンのオデッセイや、アルドノア・ゼロガンダム鉄血のオルフェンズなど、ここ数年やたらと盛り上がってる火星を舞台にしてみました。細かい設定は面倒だし、字数も限られているので、星新一ショートショートを意識した作りになっています。人から見てどうかはわかりませんが、ごくま的には意識しました。ただ、あそこまで乾いた感じにするのも何なので、ちょっと湿っぽさを追加しました。妹が登場するエピローグも書こうかと思いましたが、湿っぽくなりすぎると思ってやめました。

【ざっくり映画感想】君の名は。【うっすらネタバレ】

 仕事帰りのレイトショーで観てきましたので、忘れないうちに感想を書いてしまいます。

 僕は映画は好きですが、それほど数を観ているわけではありません。そういう前提を踏まえた上で、少ない知識を総動員して、この作品を構成している要素について語ってみたいと思います。

 まずタイトルの「君の名は。」ですが、これは昭和の古いラジオドラマを発祥とする、「真知子巻き」で一世を風靡した物語が元になっています。放送時間になると銭湯の女湯から人が消えたという伝説を残した作品です。橋の上で男女が出会う有名なシーンは、今回のアニメ作品にも出てきます。オマージュってやつですね。昔の映画では数寄屋橋の上だったそうですが、今はその数寄屋橋は残っていないそうです。ではあの橋は一体どこなんでしょう。東京の人ならわかるのかな。

 そう、この映画には実在する街の風景が出ているので、知っている人は「あ、ここあそこじゃん」となるシーンがたくさんあります。瀧(主人公の男子)が、三葉(主人公の女子)に会うため岐阜県の飛騨に向かう途中、新幹線で名古屋駅に降りるんですが、地元民の僕はそこでピクッとしました。名古屋メシの味噌カツ弁当も登場します。新幹線の車窓から見えた風力発電の風車も見覚えがあります。あとは三葉が東京へ向かうために乗る電車の方向幕(電車のおでこについてる行先表示)が「美濃太田」となっていたところにもピクッとしました。

 作品のキモとして、男女の意識が入れ替わるというアクシデントがありますが、これまた昭和の名作「転校生」が元ですね。「転校生」では男女が神社の石段を一緒に転げ落ちた拍子に意識が入れ替わるので、三葉の家が神社という設定はそこからきているのかも。知らんけど。「転校生」で、意識が入れ替わったことに気づいた男子(演じる小林聡美)がおもわず自分の胸を剝きだしてわしづかみにするシーンは衝撃的でした。瀧も三葉の体で目覚めるたびに胸をもみしだいてます。

 そんな瀧に怒る三葉も、瀧の体に入って目覚めたとき、“瀧自身”を触るシーンがあります。ちなみに男子高校生の一日は朝立ちから始まります。つまり、三葉が初めて触れた男性自身は、MAX状態の瀧自身だったわけです。僕の記憶では、三葉は少なくとも二回、瀧MAXに触れています。そのあと瀧の体に入った三葉がトイレに入るシーンがありますが、MAXの状態で用を足すのは、男子の体に慣れない女子には難しいのではないかと無駄な心配をしてしまいました。

 それから、この作品では男女の意識の入れ替わりと同時に、時間のズレも重要な要素になっています。最初は単に意識が入れ替わっているだけかと思いきや、二人の間には時間のズレもあったのです。このタイムリープ的要素が、物語を少々ややこしくしていて、それが結末に向かっていく過程を盛り上げる役割を果たしています。

 作品の中で繰り返し語られる「結い」という言葉。三葉が住む糸守町という架空の田舎町の伝統と神事。組紐が時空と縁、すなわち「結い」の象徴として描かれていますが、同時に東京の街を縦横に走る鉄道も、この「結い」を暗喩していて、物語の要所要所に鉄道のシーンが挿入されます。

 あと気になった点は、彗星が割れてたくさんの流れ星が落ちてくるシーン。糸守町を消滅させた隕石の描き方は、「ハウルの動く城」でカルシファーが落ちてくるシーンとそっくりです。隕石が落ちてくる瞬間を表現したあの音も。

 それに関連して、瀧と三葉がすれ違う電車の車窓からお互いを見つけた時、三葉がつけていたペンダントトップが星の形だったのは、彗星が二人を結びつけたという思いからでしょうか。

 毎度のことながらざっくりした感想ですが、「君の名は。」を観て気がついた点は以上です。先に観てきた知り合いの男子は、何が感動的なのかサッパリだと言ってましたが、タイムリープとかのSFチックな仕掛けがある程度わからないと、男子には面白くないかもな、と思います。その男子の近くに座っていた女子はラストで号泣していたそうです。

 これから観る人にアドヴァイスできるとしたら、この作品で最大限の感動を味わいたいなら「心を乙女にしろ!」ということです。この物語の主人公は三葉です。瀧は単なるマクガフィンだと言っても差し支えないでしょう。感情移入したければ、田舎の純朴はJKになるのが一番です。

 これまで新海誠監督の作品はいくつか観てきましたが、正直あまり面白いとは思いませんでした。しかし「君の名は。」はちゃんとストーリーが組み立てられていて、わかりやすい作品になっていると思います。こりゃヒットするのも無理ないわ、というのがこの作品に対する僕の評価です。

 もう一度言っておきましょう。

 「心を乙女にしろ!」

 

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