心は空気で出来ている

空気を読むな、呼吸しろ。

短編小説の集い 投稿作品 「無花果の花」

 すこぶる久しぶりの参加となりました。お題は「実」ということで、凝りもせずSF仕立ての作品となっております。

novelcluster.hatenablog.jp

 

無花果の花

 ネロが目覚めたとき、彼の視界に入ったのは見知らぬ天井であった。青みがかった無機質な白い天井。それに輪をかけるように無機質なLEDの照明。彼は手術を終えてベッドに横たわっているのだった。これから向かう火星の過酷な環境に耐えうる肉体を得るための手術である。人類の火星進出が動き出したこの時代、ネロは開拓団の一員として活動するために必要となる適合手術を受けたのである。

 「よう、気分はどうだい?」

 隣のベッドから聞こえる声はネロの幼馴染、メアのものだった。彼らが寝かされている大部屋にはベッドが10台あり、全てのベッドにネロと同じ手術を受けた者たちがいる。彼らは貧しい環境に生まれ、廃棄物処理などの劣悪な労働環境で働いていた者ばかりである。

 「ああ……最高、かな」

 ネロは火星開拓団の話を聞いた時、迷いなくその危険な旅に参加することを決めた。メアも同じだ。地球でいくらキツい仕事をこなしたところで、暮らしが豊かになるわけではない。体が動かなくなれば職を奪われ、路頭に迷うのがオチである。彼らの親と同じように。

 それならば、火星の土地を開拓し、その土地で農作物を作るなり、何らかの資源を採掘すれば、一気に豊かな生活を手に入れられる可能性がある。保証があるわけではないが、火星開拓を主導する国際組織も、何の収穫も見込めない土地を開拓しようなどとは考えないはずだ。ネロたちはその望みに人生を賭け、後戻りのできない手術を受けたのだ。

 火星にはすでに人が活動するために必要な一定の環境が作られてはいるが、まだまだ生身の人間が自由に活動するには不十分である。不自由な作業服と、重い生命維持装置がなければ、火星の過酷な環境下で活動することはできない。それを克服し、より円滑に開拓活動ができるように人体を改造する手術を受けるのが、火星開拓団に参加する条件なのである。

 やがて火星へと旅立つ日が来た。開拓団を乗せたロケットの中、ネロは期待と不安を胸に、遠ざかる青い地球を見ていた。

 「本当によかったのか」

 出発前の検診を終え、待合室で顔を合わせたメアの声が甦る。

 「エリのためでもあるんだ。俺が成功すれば、あいつを火星に迎えて豊かな生活をさせてやれる」

 ネロには妹がいた。まだ幼いエリは施設で暮らしている。兄が火星へ行くと聞いて、泣きながら引き留めようとした。ネロは自分なりに火星へ向かう目的を説明したが、エリが本当に納得したのかどうかはわからない。しかし、幼いながら兄の決意を感じ取ったのか、最後にはネロの火星行きを承諾したのだった。

 長いような短いような眠りから覚めたとき、ネロが見たのは再び、見知らぬ天井であった。火星に到着した、着陸船の天井である。着陸船はすでに、宇宙ポートに隣接したドームに収容されていた。ハッチから外に出ると、思ったより地球に似た風景が広がっていた。ドームの透明な隔壁越しに見える火星の空は青く、大地には苔のような緑があちこちに繁茂していた。しかし高い木はなく、生き物の動きもない。低くなだらかな丘陵地帯が、見渡す限りどこまでも続いている。

 ネロたちはいくつかのチームに分かれ、それぞれが指定された居住区に移動した。同じチームに、メアがいた。

 「腐れ縁だな」

 メアが笑って肩を叩いた。

 翌日から、組織が用意した簡単な機械と資材を使って、ネロたちは火星の大地を切り拓いていった。大木や巨石があるわけではなく、元々平坦な土地のため、小型の耕運機のような機械で地表を耕していく作業の繰り返しだ。少しずつではあるが、その範囲は着実に拡がっていった。

 食事をとりながら、ネロは地球のエリに送るメールを打ち込んでいた。このメールが、いつ頃、どのように地球まで届けられるのかは知らないが、ネロは火星での暮らしなどを端末のキーボードで綴った。与えられる食事はいつも同じ、何かの果実のようなものだ。不思議と飽きることはないが、毎回同じものを食べていると、美味いとか不味いとかいった感覚も忘れてしまう。

 メアが部屋に入ってきた。

 「よう、可愛い妹にメールか。いい兄貴だな」

 「ほめても妹はやらんぞ」

 「俺に幼女趣味はないんでな」

 「もう幼女ではない」

 「そうか、確かにな。地球を出てからもう何年経ったのか……」

 メアも食事の途中だったのか、手にはネロと同じ果実を持っている。かじりかけのそれを見せて、メアが聞いた。

 「なあ、これ、美味いか?」

 「もうそんな感覚はわからんよ」

 「俺もだ。イチジクの味も忘れちまった」

 「イチジク?」

 「この実、なんだかイチジクに似てると思ってな」

 ネロは自分の手にある実を改めて観察してみた。言われてみれば、確かにイチジクに似ていなくもない。しかし本物のイチジクがどんなものだったのか、正確には思い出せなかった。おそらく、このイチジクのようなものも、適合手術を受けた人間に最適化された栄養が含まれているのだろう。

 「知ってるか、日本ではイチジクに『花の無い果実』という意味の文字を当てるらしい」

 「お前の祖父は日本人だったな」

 「ああ。しかし実際にはこの実の中に無数の小さな花をつけるんだ。外からは見えない花をな」

 「じゃあイチジクは実というより花を食べているようなものか」

 「そういうことになるな。それと、イチジクは不老長寿の実とも言われるらしい」

 「不老長寿か……この実を食べて不老長寿になれるなら、火星開拓も捗るんだがな」

 「毎日これを食べさせられるってのは、そういう洒落か」

 「そうかもな」

 そんな会話をしていたメアが、ある日突然いなくなった。移動用のビークルは無くなっていない。つまり徒歩でどこかへ行ってしまったということである。このあたりに、足を滑らせて落ちるような穴や崖はない。どこまでも見渡せる平坦な土地である。ネロはできるかぎり行方を捜したが、1週間を過ぎてもメアは見つからなかった。

 メアの捜索を諦めて、再び作業を開始したネロたちだったが、メンバーの1人が再び行方不明となった。そうして2人、3人と、次々とメンバーが消えていき、ネロたちのチームは当初の人数の半分になってしまった。

 この行方不明事件は他のチームでも起きているらしく、開拓団のメンバーは、たびたび会合を開いてはこの事件の真相について話し合ったが、何の進展もないまま時間が過ぎていった。

 最初の行方不明者であるメアが消えてから、およそ1カ月が過ぎた頃、最初に整備された区画の隅で、見慣れない植物の芽が生えているのが見つかった。地球から持ち込まれた植物ではあり得ない。地球の植物を持ち込む計画などないし、万が一ロケットや資材に紛れ込んでいたとしても、火星の環境で発芽するはずがないのだ。開拓団の者達は皆、この奇妙な植物の芽よりも、行方不明者の問題を優先すべきだと考えていた。しかしネロは、この植物と行方不明者を結びつけずにはいられなかった。そして、自らのおぞましい想像に終止符を打つべく、植物の根元を掘り返してみることにしたのである。

 開拓団のメンバーがパニックを起こさないよう、ネロは夜が更けるのを待ってから"発掘"を試みることにした。考えてみれば、行方不明者が姿を消すのは決まって夜だった。なぜ自分は今までそのことに気づかなかったのだろう。就寝前までドーム内にいた者が、朝になって消えたことが判明する。ならば、彼らがどこかへ消えるのは夜しかない。自分だけではない、開拓団の誰一人として、そのことに言及する者はいなかった。

 そんなことを考えているうちに、ネロはいつの間にか眠ってしまった。次の日の夜も、その次の夜も、今夜こそ植物の根元を掘り返そうと考えるのだが、気がつくと朝が来ていた。そして初めて、日没を過ぎると起きていられないことに気づいた。おそらく、手術のせいだろう。あるいは、あのイチジクに似た果実に何か細工がしてあるのかもしれない。そこに思い至った頃、開拓団のメンバーは火星に着いた時の3分の1になっていた。ネロ達が整備した土地には、あの植物が無数に茎を伸ばし、大きな赤い葉を広げて日光を浴びている。行方不明者のことについて、もう誰も口にする者はいなかった。まるで何一つ問題が起きていないかのように、彼らは淡々と作業をこなしていった。

 実際、何一つ問題はないのかもしれない。全ては計画通りなのかもしれない。そんなことを考えながら、ネロは誰もいなくなったドームの中から、一面に広がる"農場"を見つめていた。今なら、あの植物の根元を掘り返しても、誰も咎める者はいない。いや、誰かがいたとしても、咎める者はいなかったのかもしれない。ネロ自身の中に、それをさせまいとする何かがあったのだ。

 ネロは、意を決して土を掘り返してみた。ちょうど人がひとり埋まるほどの穴が出来上がった頃、辺りが真っ暗なことに気づいた。火星の夜を見たのは、これが初めてだった。そしてこれが最後になるのだろう。なぜ穴を掘っていたのだろう。なぜ夜なのに起きていられるのだろう。睡魔に襲われて朦朧とする頭の中でぼんやりと考える。目の前にぽっかり空いた穴が、優しいベッドのように見えた。ネロがゆっくりと穴の中に横たわると、夜空に満天の星が輝いているのが見えた。ひときわ青く光るのは地球だろうか。それとも遥か遠くの恒星だろうか。使い慣れた小型の耕運機が自動的に動き出し、ネロの体に土を被せていった。火星の土の重みを体に感じながら、ネロは深い眠りについた。

 

 あとがき

 マット・デイモンのオデッセイや、アルドノア・ゼロガンダム鉄血のオルフェンズなど、ここ数年やたらと盛り上がってる火星を舞台にしてみました。細かい設定は面倒だし、字数も限られているので、星新一ショートショートを意識した作りになっています。人から見てどうかはわかりませんが、ごくま的には意識しました。ただ、あそこまで乾いた感じにするのも何なので、ちょっと湿っぽさを追加しました。妹が登場するエピローグも書こうかと思いましたが、湿っぽくなりすぎると思ってやめました。

【ざっくり映画感想】君の名は。【うっすらネタバレ】

 仕事帰りのレイトショーで観てきましたので、忘れないうちに感想を書いてしまいます。

 僕は映画は好きですが、それほど数を観ているわけではありません。そういう前提を踏まえた上で、少ない知識を総動員して、この作品を構成している要素について語ってみたいと思います。

 まずタイトルの「君の名は。」ですが、これは昭和の古いラジオドラマを発祥とする、「真知子巻き」で一世を風靡した物語が元になっています。放送時間になると銭湯の女湯から人が消えたという伝説を残した作品です。橋の上で男女が出会う有名なシーンは、今回のアニメ作品にも出てきます。オマージュってやつですね。昔の映画では数寄屋橋の上だったそうですが、今はその数寄屋橋は残っていないそうです。ではあの橋は一体どこなんでしょう。東京の人ならわかるのかな。

 そう、この映画には実在する街の風景が出ているので、知っている人は「あ、ここあそこじゃん」となるシーンがたくさんあります。瀧(主人公の男子)が、三葉(主人公の女子)に会うため岐阜県の飛騨に向かう途中、新幹線で名古屋駅に降りるんですが、地元民の僕はそこでピクッとしました。名古屋メシの味噌カツ弁当も登場します。新幹線の車窓から見えた風力発電の風車も見覚えがあります。あとは三葉が東京へ向かうために乗る電車の方向幕(電車のおでこについてる行先表示)が「美濃太田」となっていたところにもピクッとしました。

 作品のキモとして、男女の意識が入れ替わるというアクシデントがありますが、これまた昭和の名作「転校生」が元ですね。「転校生」では男女が神社の石段を一緒に転げ落ちた拍子に意識が入れ替わるので、三葉の家が神社という設定はそこからきているのかも。知らんけど。「転校生」で、意識が入れ替わったことに気づいた男子(演じる小林聡美)がおもわず自分の胸を剝きだしてわしづかみにするシーンは衝撃的でした。瀧も三葉の体で目覚めるたびに胸をもみしだいてます。

 そんな瀧に怒る三葉も、瀧の体に入って目覚めたとき、“瀧自身”を触るシーンがあります。ちなみに男子高校生の一日は朝立ちから始まります。つまり、三葉が初めて触れた男性自身は、MAX状態の瀧自身だったわけです。僕の記憶では、三葉は少なくとも二回、瀧MAXに触れています。そのあと瀧の体に入った三葉がトイレに入るシーンがありますが、MAXの状態で用を足すのは、男子の体に慣れない女子には難しいのではないかと無駄な心配をしてしまいました。

 それから、この作品では男女の意識の入れ替わりと同時に、時間のズレも重要な要素になっています。最初は単に意識が入れ替わっているだけかと思いきや、二人の間には時間のズレもあったのです。このタイムリープ的要素が、物語を少々ややこしくしていて、それが結末に向かっていく過程を盛り上げる役割を果たしています。

 作品の中で繰り返し語られる「結い」という言葉。三葉が住む糸守町という架空の田舎町の伝統と神事。組紐が時空と縁、すなわち「結い」の象徴として描かれていますが、同時に東京の街を縦横に走る鉄道も、この「結い」を暗喩していて、物語の要所要所に鉄道のシーンが挿入されます。

 あと気になった点は、彗星が割れてたくさんの流れ星が落ちてくるシーン。糸守町を消滅させた隕石の描き方は、「ハウルの動く城」でカルシファーが落ちてくるシーンとそっくりです。隕石が落ちてくる瞬間を表現したあの音も。

 それに関連して、瀧と三葉がすれ違う電車の車窓からお互いを見つけた時、三葉がつけていたペンダントトップが星の形だったのは、彗星が二人を結びつけたという思いからでしょうか。

 毎度のことながらざっくりした感想ですが、「君の名は。」を観て気がついた点は以上です。先に観てきた知り合いの男子は、何が感動的なのかサッパリだと言ってましたが、タイムリープとかのSFチックな仕掛けがある程度わからないと、男子には面白くないかもな、と思います。その男子の近くに座っていた女子はラストで号泣していたそうです。

 これから観る人にアドヴァイスできるとしたら、この作品で最大限の感動を味わいたいなら「心を乙女にしろ!」ということです。この物語の主人公は三葉です。瀧は単なるマクガフィンだと言っても差し支えないでしょう。感情移入したければ、田舎の純朴はJKになるのが一番です。

 これまで新海誠監督の作品はいくつか観てきましたが、正直あまり面白いとは思いませんでした。しかし「君の名は。」はちゃんとストーリーが組み立てられていて、わかりやすい作品になっていると思います。こりゃヒットするのも無理ないわ、というのがこの作品に対する僕の評価です。

 もう一度言っておきましょう。

 「心を乙女にしろ!」

 

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【久しぶり】ジェイソン・ボーン【映画の感想】少しネタバレるよ

 マット・デイモン主演、ボーンシリーズ5作目の「ジェイソン・ボーン」ざっくり感想文です。

 このシリーズは、1作目「ボーン・アイデンティティー」と2作目の「ボーン・スプレマシー」はテレビで観て、3作目の「ボーン・アルティメイタム」で初めて劇場で観ました。4作目の「ボーン・レガシー」は外伝みたいな話なので観ていません。

 とにかくアクションと陰謀、痛い、狡い、ハイテク、カーアクションがこれでもかと連続する映画です。これまでのシリーズを踏まえていないと、主人公のジェイソンに感情移入したりストーリーに入り込むのは難しいかも。前シリーズ3作を観た自分もちょっと話についていけてたかどうか、正直あやふやです。大筋はわかったけど、細かいところはわかってないかも。

 予告編では『<新章>始動』とか言ってますけども、こっからまた新たなシリーズが始まるんでしょうか。その割には今までのジェイソン・ボーンシリーズを踏襲する展開でした。そこはたぶん意識して作られてるんだろうなとは思います。

 まず、前作までジェイソンと関わりのあった女性が、新しい情報を持って現れますが、敵の襲撃であえなく死んでしまいます。怒ったジェイソンは彼女が伝えようとした真相の全貌を掴むべく、再び彼の古巣であるCIAとその周辺に接近を図る、という流れ。

 組織の秘密を守るため、ジェイソンを抹殺せんとするCIAのボス、世界中に張り巡らされた情報網と人員、そして彼を逆恨みするCIAの暗殺者。ハイテクと人海戦術で追いつめようとするものの、それを明晰な頭脳と強靭な肉体で切り抜けるジェイソン。常に命を狙われる極限の世界を、あの無表情な顔で淡々と渡り歩く主人公の強さにしびれますわ。

 CIAのボスを演じるトミー・リー・ジョーンズがまた悪そうなジジイなんですよこれが。そういう役だから当然なんだけど。あと暗殺者の人も、名前知らないけど他の映画で見たことあります。それもたしか悪役だった。CIA幹部の女優さんは知らない人。たぶん最近売れ筋の有名な人なんでしょう。

 初めのほうに出てくる元CIAの女の人、たしかシリーズ1作目から出てるんだけど、その頃と比べるとさすがにちょっと老けたかな~という感じですね。CIAを辞めて生活レベルが下がったっていう背景設定もあるんだろうけど。あー、だいぶおばさんになったなぁと思いました。

 アクション映画なので当然と言えば当然ですが、全体的にめまぐるしい。よく見てないと「え?いまどうなった?」ってなる。最後のほう、ラスベガスのカーチェイスなんてもうヤバい。おーいおいおい、それはあかんやろ、っていうシーンの連続。カーチェイスってだいたい、事件と無関係の車はぶつかりそうになってギリ止まるとか、ぶつかってもボンネット潰れるだけとか、半回転する程度とか、そんなんでしょ。今回はもうどんだけ死んでんの、っていうくらい無関係の車が吹っ飛ばされてます。暗殺者が運転する超頑丈な車に。

 あと、現実世界の話と少し絡めてたのは、CIAの人がスノーデンの名前をちょいちょい出してたとこね。暴露されたら大変な情報とか計画とかいろいろあるから。もうとにかく、CIAは悪い組織です。国家のためという名目の裏で、いくらでもえげつないことやってますよーっていう描かれ方。実際はどうなんですかね。やっててもおかしくはないと思いますけど。

 この後さらに新シリーズが続くのかどうかわかりませんが、できれば3部作くらいで続けて欲しいと思います。これまでのボーンシリーズを観てきた人間からすると、今作だけでは少し物足りないので。まだ観ていない人は、これを機にボーンシリーズに手を出してみてはいかがでしょうか。

 

ホーボーケン!

 アメリカはニュージャージー州ホーボーケン駅で列車が駅に突っ込んで死傷者多数というニュースを今朝の朝刊で見ました。

www.huffingtonpost.jp

 これ、笑っちゃいけないニュースなんだけど、つい笑ってしまいました。いえ、ニュース自体にはなにひとつ笑うところはないんです。本当に、この事故で人が亡くなったのは残念なことだし、早く原因を究明して再発防止策を講じるべきだと思います。でも、不謹慎は百も承知で笑ってしまいました。ペンギンズファンの方にはわかると思います。

www.nickjapan.com

 NHKなどで放送されて、私を含め多くのファンを持つニコロデオン製作のアニメ「ペンギンズfromマダガスカル」に、このホーボーケンという地名がたびたび登場します。ペンギンズの中では、非常に治安が悪く、まるで暴動が起きているような状態が日常の風景であるという設定です。そこにある動物園に集まる動物たちも、ペンギンズに仇なす悪者ばかり。街の中にごみの山が出てくる話もあります。

 ホーボーケンがなぜそのような描かれ方をしているのか……今回のニュースをきっかけに調べてみたところ、ヤホー知恵袋で詳しく解説されていたので紹介します。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 アメリカの歴史の中でいろいろあって、決して行きたくないひどい場所の代名詞のように言われているわけですね。僕も初めて見た時は、まさか実在の地名とは思いませんでした。だって実在する街をあからさまにディスるような描写は、日本じゃ許されないでしょう。市長がBPOに抗議する案件ですよ。

 ペンギンズのあるエピソードで、ニュース番組のリポーターがホーボーケンから中継するシーンがあります。街の通りにはあちこちに火の手が上がり、人々が叫びながら走り回っています。横から近づいてきた街の住人に、リポーターがごついスパナを振りかざして「あっちへ行きなさい!」みたいなことを言います。スタジオのキャスターは「ひどい暴動が起きていますね」と言いますが、リポーターは「これがホーボーケンの日常ですよ」と答えます。

 これを日本の群馬とかでやったらどうでしょう。まず間違いなく苦情が入りますよね。ただでさえ人口流出に悩んでいるのに、こんな風に描かれて誤解が広まったら、人が来なくなるどころかますます減るじゃねえか!という具合に。アメリカでは何も言われないんでしょうか。ホーボーケンの市長は平気なんでしょうか。ジョークが通用するお国柄ってことですかね。あ、だけど日本でも「翔んで埼玉」っていう魔夜峰央の埼玉ディスり漫画が話題になったっけ。読んだことないけど。

 ところで、アメリカで「ホーボーケン」なんて耳慣れない響きだと思いますが、たぶんネイティブアメリカンの言葉からきていると想像します。アイヌの言葉からきている北海道の地名と似たようなもんでしょう。

 現在は都会に近いわりには静かで暮らしやすい街ということなので、地獄の一丁目というイメージも今は昔。日本でいうと、サンマは目黒に限る、みたいなことですね。違うか。

 ホーボーケンと並んでペンギンズの中でよく出てくるのがデンマーク。ペンギンズの隊長が、かつて宿敵のツノメドリが起こした「コペンハーゲン事件」によってデンマーク国民を敵に回したとかいうもっともらしい設定で、決して行きたがらない国ですが、今度何かのニュースでデンマークあるいはコペンハーゲンを見かけたら、その内容に関わらずきっとまたペンギンズのことを思い出してちょっと笑ってしまうことでしょう。そしてまたこのブログでデンマークあるいはコペンハーゲンについて書くかもしれません。書かないかもしれません。

 とにかくペンギンズは面白いので、ドタバタコメディが好きな人は一見の価値ありです。今回のホーボーケンのようにアメリカの歴史について勉強になったりもします。有名な映画のパロディや、とんちの利いたジョークも満載。ぜひ一度お試しあれ。

 

 

人工知能ドライバー

 こんなニュースを目にしましたので、人工知能を搭載した完全自動運転車について以前から考えていることをつらつらと書いてみます。

jp.techcrunch.com

 人工知能を搭載した車と言えば、思い出すのはこれ。

www.youtube.com

 今にして思えば、人工知能を積んでいる割には、ものすごい複雑なコクピットで、まるで飛行機のよう。スイッチやレバーやパネルやゲージが所狭しと詰め込まれた運転席。全自動で動くし、人の話も理解できるのになんで……という感じですが、当時はこれがいかにも最先端に見えたものです。誰でも気軽に扱える代物じゃないという特別感がかっこよさに繋がっているようです。

 しかし、現代では誰でも簡単に扱えることが人工知能普及のカギを握っています。様々な分野での応用が期待される人工知能ですが、その先陣を切っているのが自動運転車。将棋やSiriよりずっと身近で、社会に与える影響も大きいでしょう。この自動運転車が普及したら、車社会はどう変化するか、ということを考えた時に思いついたことがいくつかあります。

 自動運転車とは、わかりやすく言ってしまえば、運転手付きの車、あるいはタクシーを個人で所有しているのと同じようなことになります。運転手が人間か機械かという違いだけです。そう考えると、自分が自動運転車を使うようになった時のことを想像しやすくなります。

 例えば、駐車場。僕が暮らしている田舎のように、日本のほとんどの地域は車がないと本当に不便です。休日、街のショッピングセンターへ買い物に行くと、朝から駐車場がいっぱいです。でも運転手がいれば、目的地まで乗せて行ってくれれば、あとは駐車スペースを自分で探すなり、一旦家に戻るなり、あるいは目的地周辺で適当に時間をつぶしていてもらってもいい。郊外のように駐車場がタダなら車を止めるのに抵抗はありませんが、有料駐車場しかないような都市部へ行くとすると、駐車場のことを心配する必要がないというのは本当に便利です。

 なので、自動運転車が普及すると、まず有料駐車場がどんどん無くなると思います。わざわざお金を払って車を止めておく必要がないからです。帰りは時間と場所を指定して車と待ち合わせすれば駐車場はいりません。

 そうすると、将来的には車を個人で所有する人は現在に比べて激減すると思います。パーソナルスペースとしての車が好きな人は自分専用に一台持っていたいと思うでしょうが、単なる足として動けばいい、という感覚の人はカーシェアリングを利用するでしょう。そういう人はこれからどんどん増えていくと思います。

 なぜなら、車を運転するというのは今現在においても特殊な技能を必要とする事柄であり、ほとんどの人はその技能を十分に習得しないまま、必要に迫られて仕方なく車を運転しているからです。老若男女、誰もかれもが自分で車を運転しなければならないというのは、実は異常な事態なのです。若葉マーク、高齢者マーク、はては身障者マークをつけて、誰も彼もがそれぞれの運転レベルで勝手に車を運転していたなんて信じられない、そりゃ事故が起きて当然だわ、という時代が来るでしょう。

 次にカーレースの世界。今のレーシングカーは多数のセンサーが取り付けられ、そこから得られるデータを解析してより速い走りを追及しています。つまりIT技術・人工知能との相性がいい。センサーから得られるデータを人工知能がリアルタイムに解析して即座に運転に反映すれば、人を介する運転よりも速くなるのは当然です。レースの世界も、人が運転するレースと、人工知能が優劣を競うレースに分かれていくでしょう。

 それで、Google先生に問い合わせてみたところ、業界の人はとっくにそういうことを考えついていたようで、国際自動車連盟FIA)が人工知能に車を運転させるロボレースというプロジェクトを進めているそうです。

iwakura-ds.co

 こうなってくると、車は人が運転するもの、という考えは徐々に廃れていき、車は勝手に動くもの、というのが当たり前になるでしょう。そして、人が車を運転するということが完全に趣味の領域になると思います。今でいう乗馬とかそういうのと同じレベルの話になるんじゃないでしょうか。専用のコースで、好きな人だけが集まって運転技術を磨く世界。もしかすると、カーレースがオリンピックの正式種目になる日がやってくるかもしれません。

 そんな未来の世界が実現するまで自分が生きていられるとは思いませんが、おじいさんになって持病の診察を受けに病院へ行くときは、スマホで呼んだ自動運転車に乗って行きたいなぁと思います。そうすると、病院で待っているのは人工知能を搭載した診断ロボってことになるんでしょうか。